こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える、
そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、
薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。
自分のやりたいことを優先できない。
しなきゃいけないことばかり選んでしまう。
そんな自分の癖は、
いつから育まれたものなのだろう??
本日畑で行われた遺伝子易経勉強会にて、
その答えが見えてきました。
今日のテーマは14番。
心の闇:妥協、天の才:才気、天の光:絶倫。
その心の闇"妥協"において、
このような記述がありました。
妥協は、社会のシステムを通して私たちの中に産み付けられます。妥協をする度に、一番欲しいものを諦めることになり、そうすれば何をしようと心から楽しめません。
子供たちの夢のほとんどは、学校教育の単調なカリキュラムによって、一掃されてしまいます。子供たちのほとんどは、学校教育を通して、仕事は退屈、単調、つまらないといったイメージを持つようになります。
僕や!僕のことや!!
僕も確かに、
子供の頃から「仕事は退屈、単調、つまらない!」
というイメージを持っておりました。
そしていつの間にか、
僕自身も夢ややりたいことを妥協してしまい、
"つまらない仕事を少しでも楽しめそうな場所"
を探して就活をしていたことを思い出します。
「仕事=したいこと」ではなくなっている。
先日、
「遊び第一主義でいこう!」という記事を書いたけれど、
振り返ってみると、
子どもの頃からすでに遊び第一主義ではなかったのです!!
僕にとって遊びは、
「しなきゃいけないこと」の隙間にやるものででした。
そもそも学校に行くこと自体が、
「しなきゃいけないこと」。
全然人の話を聞けないADHDな僕が、
ひたすら座って耐える授業時間。
あいだの休み時間が来ることを心待ちにしながら、
妄想に耽り、ほじった鼻くそを机の下に擦りつけていました笑
学校が終わったら週3〜4ぐらいの習い事があって、
そして学校の宿題もこなして、
それらを除いた、
残り少ない時間が遊び時間であり余暇。
1日の大半を"しなければならないこと"で過ごす日々を、
ずっと歩んできたわけなので、
そりゃー、
したいことを優先できなくなるわけですよ!
しなきゃいけないと思い込んでいるをしないで、
したいことをする罪悪感たるや!!笑
つまり幼少期からすでに、
"しなきゃいけないことを優先する"暮らしが、
インプットされ続けてきたわけなのです。
そんな僕たち私たちにとって、
"したいことを優先する"ということは、
そもそもとても勇気のいること。
当たり前のように語られる
「やりたいことをやろう!」は、
自分の遺伝子に対するものすごいチャレンジなのだと
気づいた本日でございます。
仕事終わりにしたいことをするでもなく、
仕事の中で楽しいことを考えるのではなく、
したくてたまらない遊びがどう仕事になっていくか?
最近は特にそのチャレンジをし続ける日々です。
(4月3日は石窯パン焼き!!)
明日もまた、
したいことを自分にさせてあげるチャレンジですね!
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!