こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える、
そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、
薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。
51番の心の闇は、必然的に免れようとすることに、
全てのエネルギーを費やします。
『遺伝子易経』より
最近たまたま読んでいた、
遺伝子易経の51番。
心の闇:動揺、天の才:先見性、天の光:覚醒。
なんと本日から、
活性化しているそうな!
すごい共時性だなぁと感心しつつ、
本題へ。
生きていると、
ショックなことというのは必ず発生するわけで。
突然の出来事に弱いアスペな僕は、
そんな出来事にビックリドッキリするわけでございます。
そしてドッキリするのが嫌で、
"突然"が起きないように、全力で予防線を張ろうとする。
「あれに気をつけよう。」
「人から何も言われないように。」
「こうならないようにするためには。」
などなど、
予防線を張ることに全力に意識を割きすぎて、
疲れてしまって、事前準備でバタンキュー!
がよくあるパターン。
その奥に見ているのは、
"死"への恐れ。
突然が起こること、
向き合うことを恐れるのは、
根本的には"死"を恐れてる。
死は肉体的な死だけではなく、精神的にも。
自分がなくなること、
自分を見失うことを恐れてる。
だから人と向き合うことが怖い。
確固たる自分、
自分というアイデンティティーが、
揺らがされることが怖いのだ。
人と向き合った結果、
ショックすぎて、ボロボロに泣き崩れることはあったけれど、
完全に死んだことはまずない。
にもかかわらず、
向き合うのが怖いというのは、
遺伝子に深く刻み込まれた恐れなのだろう。
一言で言うなら、
「プライド」。
カッコつけたい。
でもそのつけたい「カッコ」は、
僕が思っているよりも、
もっと深く深く刻み込まれた「カッコ」なのかもしれない。
ビジュアルがいいとか、モテたいとか、
そんなレベルの話じゃなくて笑
名誉ある死を遂げようとか、
恥をかく=切腹とか、
そういう死と直結するような、
カッコつけなのかもしれない。
見栄とプライドがないと、
生きていけない時代もあったのだ。
上に立たねば、偉くならねば、
殺されてしまうような時代もあったのだ。
そんな時代の遺伝子の記憶が、
カッコ悪いこと=死
と結びつけている。
だから僕たちはプライドを守りたいのだ。
でも、
カッコ悪くて死ぬことなんて、
今の時代はまずないわけで。
カッコ悪くならないことにエネルギーを注ぐよりも、
カッコ悪くてもボロボロになっても、
死への恐れを乗り越えることにエネルギーを注いだ方が、
自由だし、情熱的だし、喜びに向かえる。
カッコ悪くてもいい。
良き時代に生まれついたものですね。
ちなみに、
本日の朝の発見が一つ。
朝いろんな声も受け取る中、
僕の体の中から湧き出てきた
「死にたい」という言葉。
この時の「死にたい」をよくよく見つめてみたら、
「何もしたくない。」という気持ちだった。
前に進みたくない。
向き合いたくない。目を背けたい。
その先にある"死"から目を背けるために、
「死にたい」という想いをもつなんて!
死が怖いから、
「死にたい」と思う。
なんだか笑える。
ホントめんどくさいやつだ!
明日からは月に一度の全体ミーティング。
毎月、全体ミーティングは"突然"に動揺しまくってますが笑
そんな自分にマルをして、
明日から2日間もやっていきまっしょい!
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!
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