こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
突然ですが、
「人からの提案に乗れましぇん!!」
という気質が今日も発動。
自分なりのアイデアがあるわけではない。
にもかかわらず、
「人からの提案には乗りたく有りましぇん!」
という今朝の僕。
自分の考えがあるわけではないのに、
人の考えに抵抗したい。
ただ反抗したい、抵抗したい。
なかなか苦しいコンディション。
どうしてそんな僕なのかしら??
全ての鍵は幼少期に。
今日も子供の頃の自分を見つめる。
子供の頃、
たくさん習い事をしてきた。
しかしどれ1つとっても、
自分から「やりたい!」と伝えて始めたものではなかった気がする。
自分が「どうしたい」があるわけではない。
でもいつの間にか始まっていた習い事。
どうして始まったのかは、
どれ1つとっても覚えていない。
「やってみる?」と誘われて、
"いい子"でいたくて始めた習い事たち。
体操教室、ピアノ、水泳、サッカー、学習塾、
通信ドリル、祖父母の作ったプリント、ウェルネスの課外活動。
常に週4以上の習い事(笑
そのうち続いたものは、
水泳、サッカー、学習塾、(たぶん月1)ウェルネスの課外活動。
続けられなかったものについては、
「できなかった」という罪悪感。
(特に、元教師だった祖父母の作ったプリントを、
こなせなかったことの罪悪感たるや笑)
続いたものも、
楽しいと感じたのはウェルネスの課外活動だけ。
ちなみに、
小学校も全然楽しくなかった。
1週間で楽しいと感じるのは、
数少ない"遊んでいる時間"だけ。
僕の1週間は小学校も含め、
「しなければならない習い事」が、
満ち満ちていた。
水泳もサッカーも学習塾も辞めたくて仕方がなかった。
(水泳とサッカーは小4まで続けたけど、同年代で1、2を争うド下手だった)
もっと素直に「遊びたい!」と伝えたらよかったと、
今は思う。
しかし一度始めたことを、
「辞めたい!」と伝えることが、
どうしてもできなかった。
やめたら見放されてしまう気がして、
どうしてもできなかった。
怖くて正直になれなかったことで、
子供の頃の僕は、
とても不自由を感じていた。
習い事のたびに緊張するし、
下手くそな自分も嫌だし、楽しくないし、
子どもなりに息が詰まる思いがたくさんたくさんあったのだ。
だから僕は人の提案が怖い。
乗ってしまうと、
自分の自由がなくなってしまいそうで怖い。
一方で乗らないと、
見捨てられてしまいそうで怖い。
どちらにしても怖いから、
曖昧に「はい」と返事をしてしまう。
そんな僕がおりました。
「親の提案に乗れない自分じゃダメだ。」
という圧に気づいた本日。
それにしても、
幼稚園〜小学校にかけての習い事の多さは、
改めてびっくり。
特に勉強系は、
学習塾に通信ドリルに祖父母のプリント・・・!!
かなりクレイジー・・・!!!
こなせなかったことをダメだと思い込んできたけれど、
幼少期の僕よ、十分頑張ってきたで!!!
そして今もなお、
"遊ぶ"ことが苦手で、
「何か学ばないといけない、身につけないといけない」
と思いながら日々を生きてしまっていたのは、
幼少期からの習慣だったわけですな。
遊べない自分もまた、
そうあるべくしてそうでした。
そんな自分を許す。
今日も与えられた1日に感謝を込めて。
まるっ!!
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