あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

必要なのは自由への肯定感

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

石窯キャンプで子供たちを迎えるにあたって、

ベストタイミングで一つの動画を見ました。

 


www.youtube.com

 

これが本当に最高の動画で!

たくさんの勇気とメッセージをもらったのです。

 

様々な子供たちと関わる機会をいただいている最近。

 

発達凸凹の子どもを持つ親御さんが、

こんなことを言っていたのです。

 

「いろんな療育プログラムに参加してみるけれど、

何かをさせようとするプログラムが多い。」

 

自分の意思でしたいことをさせてあげるのではなく、

何かを強制的にさせようとする。

 

ある意味では、

それは学校に行っても、会社に入っても、

どこでもあることなのかもしれません。

 

学校では時間割。

会社ではタイムカードですね。

 

だからこそ僕も、

子どもの頃からずーーーーっと、

「だれかにさせられたこと」に対してしか、

肯定感を育むことができていませんでした。

 

学校で座って勉強できたこと。

親の希望に従って受験できたこと。

お願いされたことをやり遂げること。

などなど、

 

誰かの期待に応えることについては、

褒めてもらえるし評価してもらえる。

 

人に従うことについては、

それができていれば、

肯定感をはぐくめるのです。

 

でも、

家でゲームをしてても、外で全力で遊んでも、

それはあまり褒められるものではありませんでした。

 

ゲームが上手だったら、

友達から「すげー!」って褒めてもらえたけれど、

 

学校の先生も、親も、

そのことで褒めてくれることは、

なかったわけでございます。

 

だからこそ僕は、

「自由でいいんだ。」

という肯定感がとても低かったのです。

 

 

そんな僕の一つの自由へのきっかけは、

字を書くということ。

 

僕は字を書くことがとても苦手でした。

 

小学校2年生の時から、

本格的にいろんな感じを習い始めた覚えがありますが、

書き方通りに全然うまくかけません。

 

しかし、そんな僕の隣の男の子は、

めちゃくちゃ綺麗な字を書く男の子だったのです。

 

そんな彼の字と比べてからというもの、

「僕は字を綺麗に書けない。」

というレッテルを自分に貼ってしまったのです。

 

そんな僕が、

字を綺麗に描けるようになったのは、

ある書家さんとの出会いでした。

 

その書家さんは、

障害で車椅子に乗っており、

半身不随の方でした。

 

たまたま大阪のある喫茶店でその書家さんと出会い、

お話ししたことをきっかけに、

彼のやっている書のワークショップに参加したのです。

 

そのワークショップでは、

一つの文字を何枚も紙に筆で書き続けるというものでした。

 

例えば、

「草」という字をお題に出されたら、

時間が続く限り「草」という字を書き続けるのです。

 

ただし一つだけルールがありました。

 

それは、

「絶対に同じ書き順、同じ書き方で書かないでください。」

というもの。

 

これがめちゃくちゃ衝撃的で。

 

「草はこう書くもの。」

と固定概念で決めつけていたルールがつかえない。

 

最初はすごく気持ち悪かったです。

 

こんなにも自分がルールに頼っていたのかと、

自分で驚きました。

 

でも何枚も書いていくうちに、

頭もほぐれ、字も自由になっていきます。

 

最後の方は、

もはや字というより草の絵笑

 

そのくらい自分を自由にした後、

最後に、

「自分の名前を書いてください。」

と言われたのです。

 

すると、

普通の書き順で書いたにもかかわらず、

ものすごく自由に綺麗に書けるではありませんか!

 

それ以来、

字を書くことがどんどん好きになってゆきました。

 

自由に書くという行為についても、

若い頃は反抗的で自由さが突飛したような字ばかり書いていましたが、

(字を書くのは好きになったけど、整っているというわけではなかった。)

 

沖縄に来て、

自分を見つめ、整えていくうちに、

だんだんと整った時も書けるようになってきた今があります。

 

 

自分を整える、ちゃんとする。

ということは、

最初から自分を縛った先にある結果ではないのです。

 

誰かのいうことを聞き続け、

しなきゃいきゃいけないことをし続けた先にあることではないのです。

 

 

自由を知り、表現し、創造し、

喜びを知る。

 

その喜びを深めるために、

どんどん挑戦し、たくさん失敗し、

それでも前に進みたいから、

必要なものを身につけていく。

 

その先にこそ、

自分を整えていく結果が待っているのです。

 

始まりは束縛ではない。

 

僕たちに必要なのは自由への肯定感。

 

今日の動画からも、

そんなメッセージをいただき、

とても嬉しく、勇気をもらったのでございます。

 

したいこと、どんどんやってこ!

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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(大人からみたら無意味に見えることも、子どもにとっては宝物。これが自由への一歩。)