こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える、
そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、
薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。
先日、発達障害と診断されたことで、
とても開放感を得て、自由を感じております。
(最近この話ばっかり笑
そのくらい嬉しかったし、学びが大きかったのだ!)
しかし自分を振り返ってみると、
きっと10年前には発達障害と診断されることは難しかっただろうと思うのです。
なぜなら、
プライドが高かったから!!
発達障害の検査は、僕が通ったクリニックでは
心理検査2つと知能検査が1つだったのですが、
心理検査の2つは、
アンケート形式なのです。
発達障害の特徴についての各質問に対して、
「あてはまる」「どちらかというとそうである」
「どちらかというとあてはまらない」「あてはまらない」
的な4段階の自己評価で○をつけていくというもの。
僕の感じたところによると、
発達障害の診断は、
本人の自己評価に依拠する部分が結構あるです。
つまり、
自分をどのように認識しているか?
がとても関係しているわけです。
僕の場合この認識が、
10年前と今で全然違っていて。
10年前はめっちゃプライドが高かったので、
「僕はできる男だ」と思い込んでいたのです。
でも今の僕から見てみると、
当時の僕もめっちゃやらかしていたし、
できていたことも
"めっちゃ頑張って"やっとできていたわけで、
完全に自分に負荷をかけすぎて、
無理をしてしまっていたわけでございます。
一生懸命"まとも"で在ろうとしていたのです。
だから10年前の僕では、
今ほど発達障害について”あてはまる”に
○をつけることはできなかったでしょう。
障害なんて”ありえない”と思っていたし、
できそこないじゃ”ダメだ”と思っていたのです。
だからこそ自分に厳しく、
とても生きづらく、苦しんでいました。
発達障害は多くの場合、
と言われているのは、
壁にぶつかって、苦しんで、
打ちひしがれて、おかしくなってやっと、
プライドを下ろすことができるからなのではないか?
僕はそんな風に感じております。
(もちろん僕の解釈だし、全てがそうだとは思いませんが。)
僕も長らくプライド高すぎ君で生きてまいりましたが、
たっくさん失敗を重ねてきたおかげで、
できない自分も受け入れられるようになり、
おかげさまで"発達障害"を喜んで受け入れる今です。
(こんなにも発達障害と診断されたことに
嬉々として喜んでいる人も珍しいかも笑)
「できない自分ではダメだ!」
とあれだけ怖がっていましたが、
自分を下ろした先にあったのは、
闇ではなく光にあふれた世界。
こんなにも楽で、自由で、
笑って喜んで生きられるものなのかと、
とても驚いてもいる今。
そんな自分の今の喜びを、
存分にお伝えするぜ!!
(アスペ大北、最近はお話会のことしか頭にない!!笑
しばしお付き合いくだされ笑)
もちろん鼻高々な僕もいますが、
高すぎる鼻をたくさん折ってもらったお陰である今。
正直を伝えてもらえるってありがたいですね。
本日も気づきと仲間に感謝でございます。
まるっ!!
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