こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える、
そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、
薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。
今日は午後から雨が降ると聞いていたのに、
朝から雨!!
満月までにやりたかった種まきを、
雨の中やりきりましたー!
トラクターで耕したての土は、
雨が降るとネチャネチャし始めて、
農具やら足やらにくっついて大変!!
(沖縄の土は粘土質がすごいんです)
靴が厚底ブーツになりながらの作業でした。
一緒に作業していたあっくんが、
「子供だったら純粋に楽しむだろうことも、
大人になると難儀〜!ってなっちゃうよね。」
と伝えてくれて、
ハッとさせられる!
大変ばかり見て、
楽しむことを忘れていた僕でした!笑
(楽しむが大切って、新庄も言ってた!)
そんなこんなで、
雨が強くなるまで種まきを続けて、
一応やりたい種まきはひと段落できて。
朝ごはんをあっくんと2人で食べて、
あっくんは午前帰り。
その後1人になったら、
どーん!!と疲れがきて、
思考停止に(笑
1時間くらいぼーっとしておりました。
つまりはそう、
頑張りすぎた反動でございます。
ここ数日、
慣れない畝立て機での畝立てや種まきなど、
「雨が降る前にやらないと!」
という気持ちで急いで頑張ってやってしまったところがあったので、
自分のペースじゃないペースだったご様子。
頑張りすぎると反動がきてしまう、
必要以上に頑張れない、
サボりやな僕なのです笑
頑張りすぎている時は、
「普通はこのぐらいやらないと」とか、
「農家さんはもっとたくさんやってる」とか、
無意識に"普通"なるものに合わせようとしている僕。
だから自分じゃなくなってしまって、
疲れてしまうのですね。
(こんな僕に付き合ってくれる種さん・土地さんたち、
本当にありがとう。今日はたくさんお祈りして、改めて感謝を伝えるよ〜!)
「普通の定義が何か?」
はここでは深く考えないこととして、
普通じゃない人が普通に合わせることは、
とてもとても大変なこと。
そういった状態を、
"過剰適応"というそうです。
過剰適応と聞いてよく思い出すのは、
社会人時代の職場の先輩のこと。
その先輩は、
仕事では絶対に遅刻したことはないけれど、
逆にプライベートでは絶対に時間を守れない笑
これってつまり、
仕事で"時間を守る"ことに自分を頑張らせてとても緊張してしまうから、
プライベートという安心の場において、
その反動が出てしまってだらしなさが増してしまうわけです。
社会という普通が、
ありのままの自分とかけ離れている。
そのギャップが、
過剰適応を引き起こしてしまうのです。
そんなわけですので、
Sangoに滞在される方のほとんどが、
急にポンコツになります笑
今まで頑張らせてた自分が、
この安心の環境の中で急に緩むので
伸びたゴムが反動で一気に跳ね返ったように、
今までできていたことが一気にできなくなります笑
でもそれは決して悪いことではなくて、
本来の自分に還ろうとするための調整段階。
その後、
自分というもののバランスがとれていくと、
今まで"頑張らないとできなかったこと"が
"自然にできる"ようになったりするのです。
あっもちろん、
そんな凸凹してるのが本来の僕ら。
全部平均的に、
普通でいるなんて到底無理なのです!!
まともじゃないのは僕も君も一緒なのです!笑
(せいじさんオススメの映画、最高でした!!笑)
普通になれない僕でございますし、
もはやこの世界は普通になれない人だらけな気もしておりまして、
社会の方が僕らに追いついていないだけだ!
という気持ちになっている最近でございますが、
それでも頑張りすぎてしまう自分には、
"まとも"になろうとしてしまう癖がある!笑
「良い子」になろうとしていた過去の投影でございますね。
映画の成田くんのように、
全ては調和してるんだから大丈夫。
と思える自分が僕にもいて、
そんなまともじゃない自分を、
もっともっともーーーっと尊重しようと気づけた、
本日でございました。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!