あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

【気づき】噛み合わなさと無力感

なんか会話が噛み合ってない。

お互い言いたいことが言えてない。

両者とも「どうせ分かってもらえない。」と思って、

乱暴に言葉を投げ合っている。

 

そんな場面に居合せると、

ドキドキする。

 

自分が当事者でなかったとしても、

側から見てて、居ても立っても居られない。

 

なんとかしなきゃ!

って思い始める。

 

なんとかしようと仲介に入る。

 

でもうまく仲介できない。

噛み合わなさは悪化の一途を辿る。

 

そんな時、

僕の行き着く先の感情は、

無力感。

 

「どうせ僕には無理なんだ。」

「どうしていいかわからない。」

「もう好きにしてくれ。」

 

と投げやりになってしまう。

 

自分が当事者ではないのに、勝手に仲介に入り、

うまくいかなかったら、僕も投げやりになる。

 

なんだかめんどくさいやつだ笑

 

そんな癖が、

昨日ひょっこり顔を出した。

 

自分がなんとかしなきゃいけない!

っていう責任感が強すぎる。

 

おせっかいもいいとこだ!

 

 

そんな癖を育んだのは、

子供の頃の経験。

 

子供の頃、

よく母方の祖父母と一緒に、

家族でご飯を食べていた。

 

月に2〜3度はそんな機会があった覚えがある。

 

 

その当時、

たまに食卓の空気が噛み合わない時があったのだ。

 

祖父母の家でご飯を食べるときは、

テレビがあるからまだいい。

 

テレビを見てたら、

噛み合わなさをごまかされる。

 

でも、

外食だとそうはいかない。

 

外食先にテレビはない。

 

食卓の団欒を支えるのは、

家族間でのコミュニケーションになる。

 

 

その状況で、

食事中に噛み合わない空気や、

沈黙が生じることが僕はとても嫌だった。

 

被害妄想の強い僕は、

これじゃ家族がバラバラになってしまう!

とか思ってたのだ。

 

そして僕は必死で喋った。

 

学校であった出来事、最近面白かったこと、勉強の成績、友達と遊んだことなどなど

自分のできる限りの経験を喋るように努力した。

 

そしてご飯がつくと、ばくばく食べた。

 

食べてる間は、喋らなくてもごまかせる笑

ご飯は美味しいし、たくさん食べると喜んでもらえる。

 

中学校までの僕は結構ブクブク太ってた。

 

家族の噛み合わない空気を恐れ、

自分が家族を支えなきゃという勝手な使命感に駆られていたのだ。

 

だから、

母ちゃんがあまり会話に参加しなかったり。

父ちゃんがそこにある漫画を読んでたり、

妹がゲームをしていたりすると、子供ながらにとっても腹が立った。

 

会話に入ってきてくれよ!!

僕だって、漫画も読みたいし、ゲームもしたいよ!!

でもこちとら、家族の空気を守るために必死なんだよ!!

 

とか思ってた笑

(実際にはそんなことばかりであったわけではない気もする。僕の思い込みが強すぎるのも多分にある笑)

 

きっと家族にもそれぞれ、

いろんな事情や感情があったのだろう。

 

大人になってみると理解できることはたくさんある。

 

 

でも子供の頃の僕は、

その噛み合わなさや沈黙が怖くて、

なんとかしたくて必死だった。

 

そして、

結局なんとかならなくて無力感も感じていたのだ。

 

 

その癖、大人になってもなかなか抜けず、

 

Sangoの仲間との食卓の中でも、

沈黙があるとソワソワし、

会話が噛み合わないと場面に遭遇すると、

緊張した。

 

 

結局子どもの頃と同じように、

場に責任を持ちすぎていたのだ。

 

 

でも、そもそも

食卓をどう過ごそうが個々人の自由だ!

 

そして会話が噛み合わないのは、

当人たちの責任だ!

 

親の事情を子どもが背負い込む必要なんてないし、

そもそも荷が重いぜ(笑

 

今も一緒にいる仲間たちだって、大人なんだ。

 

当人たちの噛み合わなさは、当人たちの問題。

 

お手伝いはできるかもしれないけど、

結局は当人たちしかなんとかできない。

 

それをなんとかしようなんていう、

正義の味方ヅラは、

すっごいおせっかい野郎なんだぜ笑

 

 

そして、

僕は子どもの頃の僕に言いたい。

 

「お前、ほんとよく頑張ってたよ!

 

もう肩の荷下ろしてええんやで。

 

もっと楽に生きてええんや。

 

その噛み合わなさすらも、

「またやってんなぁ〜!!」

って笑ったってええんやで。

(急に関西弁笑)

 

そんなことを思えた昨日でございました。

 

噛み合わなさに出会っても、

人のこと背負い込みすぎない。

人ごとに勝手に無力感感じない。

 

今日ここから、

ちょいと実験してゆきます

 

本日も気づきに感謝です。

まるっ!

 

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会話は噛み合わなくても、ご飯はよく噛んで食べよう。

【気づき】「考え方の違うのは、経験が違うからだ!」と気づけて、心穏やかになれた日。

自分が「こうだ!」「こうしたい!」と思った意見と、

違う意見が出てくると、とても緊張してしまう。

 

僕はこんなに伝えているのに、

どうしてわかってもらえないんだー!!??

 

ってイライラしてしまったり、

動揺してしまうことが多々あります。

 

「分かってくれよ。」

という期待がとても強いが故に、

 

実は伝えたつもりになってるだけで、蓋を開けてみれば、

一方的に自分の意見を相手にぶつけていたわけです。

 

「僕はこんなに伝えているのに・・・!」

「前も言ったのに・・・!!」

と言ってるうちは、

 

本当に真摯に、

相手に伝えようとしているわけではないのです。

 

 

どれだけ言葉を尽くしても、

まだ足りない。

 

そのぐらい、

自分と相手の認識の違いは、

とても大きい。

 

そんなことを何度もなんども見せられます。

 

 

だからこそ、

自分が歩み寄る必要がある。

 

だって、

「こうしたい!」のは自分だから。

 

 

今日はそんな中で、

一つの進歩がありました。

 

Sangoの仲間と話し合っている時、

「こうしたい!」という僕の意見に対して、

 

あまり乗り気ではない仲間がいたのです。

 

 

最初は、

どうして分かってくれないんだ??

とワジワジしていました。

 

でもふとした瞬間に、

「どうして違う意見をもっているんだろう?」

と考えてみたのです。

 

そして気づきました。

 

「経験の違いがある!」

ということに。

 

 

僕が、

「こうしたい!」ことは経験に基づくものでした。

 

自分が実際にやってみて、

自分にとっての喜びだったのです。

 

でもその仲間は、

僕と同じ経験をしているわけではなかったのです。

 

「それができる喜び」を知らない人に、

僕の「こうしたい!」が伝わるわけがないのです。

 

 

魚を焼いて食べることしか知らない人に、

 

「魚は生で食べるべきだ!」と伝えても、

「生で食べるなんてお腹壊すわ。私は焼いて食べたいのよ!」

って言われるに決まってます笑

(どう?この例え??)

 

 

経験が違えば、

考え方が違うのは当たり前なのです。

 

そのことに気づいた時、

とても心穏やかになりました。

 

そして、

「僕がこうしたい!と思うのは、それを経験したからなんだ。

でも、あなたが僕の意見を理解できないのも分かる気がする。

 

それは多分、

あなたが僕とは別の経験をしてきたからだよね。」

 

と落ち着いて伝えることができたのです。

 

すると、

相手との距離感が、

とても近くなりました。

 

そして、

相手の意見を受け入れることができた上で、

自分の意見を丁寧に伝えることができたのです。

 

そして、

議論は納得のいく終着点に向かってゆきました。 

 

 

考え方が違うとき、

自分の意見を一方的に言うだけでは足りない。

 

相手が受け入れてくれると期待し、

期待外れにイライラし、

「どうして分かってくれないんだ。」と拗ねるほどに、

 

理解から遠くなる。

 

 

相手の立場や経験を受け入れ、

そこから生まれる感情や考え方を理解すること。

 

その上で、

自分の意見を丁寧に丁寧に、

あの手この手を使って伝え、

ちゃんと相手からの意見も聞く。

 

それでも足りなければ、

あの手この手を使って伝える笑

 

押したり引いたりかけたり割ったり。

 

まだまだやれることはある笑

 

 

そのための最初の一歩。

「相手を理解する」を経験できた今日でした。

 

今日も気づきに感謝です。

 

まるっ!!

 

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今日は流れるような一日

今日は、

ゆっくりと1日がスタート。

 

東村に送る野菜を準備したり、

お部屋の整理整頓をしていたら、

あっという間に夕方に。

 

畑の草刈りしようと思ってたのに、

あんまりできなかったから、

 

送る野菜を郵便局に出して後に、

ちょっとだけでも草刈りしよう!

と思っていたら、

 

突然電話がかかってきて、繋がりのおじさんから、

「相談したいことがあるから、会える?」

って聞かれ、会いにいく。

 

そこでお話ししていたら、

また別の電話があって、

急遽そちらに向かうことに。

 

そして、

全てまるっと収まり、

穏やかに今がある。

 

今日はそういう日。

 

今日やりたいこととは違ったけれども、

流れに任せて流れた日。

 

それでいいのだ。

 

流れるままに楽しめた、

穏やかな1日に感謝です。

 

まるっ。

 

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【気づき】大丈夫。目の前の階段を登ってゆけば、新しい世界と出会えるから。

過去の自分と比べて、

変化・成長は多々ある。

 

そんな中でも、

まさかそんなこと思う日が来るなんて!

という変化と出会えることはとても嬉しい。

 

僕は、

Sangoというコミュニティでは最年少で、

共に歩む仲間は経験豊富な人生の先輩ばかり。

 

だからつい、

長いものに巻かれたくなる。

 

自分より経験してる人たちに、

責任を委ねたくなる。

 

だってその方が、

うまくいく気がするから。

 

僕には未知のことがまだまだたくさんあって、

経験不足。

 

だから大局はお任せして、

自分は下積みをコツコツやればいい。

目の前のことを楽しもう!

 

そう思ってやってきた。

 

自分のことで精一杯だったのだと思う。

 

できない自分を受け入れて、

できる自分を肯定していくこと。

 

自分ができるようになること。

自分の感情の荒波を乗りこなすこと。

 

そのプロセスで、

いっぱいいっぱいだったのだ。

 

 

だから責任をとる役割なんてまっぴらだった。

船の舵を切ることに興味なんて持てなかった。

 

船の進路はお任せして、

船の中で自分の役割を楽しんでるという感覚が強かった。

 

 

でも去年の秋から、

Sangoの全体ミーティングで議長をし始めて、

僕の意識にだんだんと変化が訪れた。

 

個人ではなく、

全体を意識するようになってきたのだ。

 

最初はじゃじゃ馬な我々をまとめることに精一杯で、

毎回のミーティングが憂鬱で仕方がなかった。

(今でも緊張は半端ない笑)

 

でも、

徐々に楽しさを見出してきた。

 

ある瞬間、

空気がフワっと変わるのだ。

 

議論が行き詰まり、混沌としていて、

どうしたらいいかわからない空気になった時、

 

ある一言をきっかけに、

どんどん調和が生まれて来る。

 

その調和の波動が、

とても心地いいのだ。

 

喜びが一つになる。

この瞬間を、

僕たちは目指しているのだ。

 

どうすれば、

この喜びが生まれるのだろう?

 

Sangoというコミュニティで、

みんなが最大限喜びを発揮できるために、

できることはなんだろう?

 

自然とそんなこと思うようになった。

 

 

そしていつのまにか、

舵取りに関心が向いている自分がいたのだ!

 

それは、

「やってみたら?」

と何度言われてもピンとこなかったことだった。

 

今は自分のことで精一杯です。

としか思えなかった。

 

今「自分」がしていることを形にする。

個としての達成ばかりに目を向けていた。

(今ももちろん、自分のことをやることは楽しいし、存分に目指してる。)

 

でも、

「できること」が増えて、

自己肯定感が高くなるほど、

意識の輪が広がっていっているのだ。

 

自分の領域が広がり、

責任を取りたい範囲も自然と変化していくのだ。

 

 

だから僕は、過去の自分に、

そして今の自分に言いたい。

 

 

「大丈夫。焦らなくていい。

責任を持てないことを嘆かなくていい。

 

今自分がしたいこと、

目の前のことに取り組んだらいいんだよ。

 

そうやって、

「できる」が増えていけば、

自然とやりたいことが増えていく。

 

そして、

本当にやるべきことに導かれていく。

 

僕が先の人生を選ぶんじゃない。

人生が僕を運んでくれるんだ。

 

だから、

今目の前のことをやりたい自分を、

思いっきり認めて、

やってあげたらいいんだよ。」

 

 

僕は僕に、

それを伝えることにする。

 

未来の自分を決める必要なんてない。

あるべき姿に戒める必要もない。

 

今この瞬間を冒険しよう。

 

その先に、

答えはきっとある。

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ。

 

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【気づき】さながらスルメのように、気づきはどこまでも進化する。

 

僕にとって一番の人生の転機は、

母は光に還ったことで、

 

その経験と向き合うことで、

自分の感情に気づき、向き合い、手放し、

生きる喜びを見出せてきている今がある。

 

かれこれ10年以上経つわけだけども、

今もなお、

気づきがあり、僕を成長させてくれている。 

 

去年に一つの大きな気づきがあって、

正直僕の中では、

そこで母にまつわる感情は、

終わったと思っていた。

 

 

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でも、

今改めてこれらの記事を読んでみると、

全然終わっていなかった感情があった!

 

今の僕から振り返ってみると、

去年の僕はまだまだお子ちゃま。(笑

 

そう思えるってことは、

この1年で成長することができているのだ!

 

過去の出来事に、とらわれ過ぎて、

今を縛り、否定してしまうのは違う。

 

でも、

たった一つの出来事も、

僕が成長するぶんだけ、

見方が変わっていく。

 

最初は、

辛い思い出でしかなかったことも、

向き合えば向き合うほどに、

そこにある愛に気づき、感謝に変わっていく。

 

そして、

過去の出来事が感謝に変わるほどに、

今この瞬間の人間関係も変わっていく。

 

どんどん自分にも人にも優しくなれていく。

 

なんてありがたいギフトなのだろう。

 

 

母の死という大事件は、

僕をどこまでも成長させてくれているのです。

 

昨日も、

一つの大きな気づきに至ることができました。

 

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光に還ってもなお、僕を育ててくれるとは、

母ちゃんはほんとすごい人です。

 

 

そして、

諦めず向き合い続けた僕もすごい!!

 

どんな出来事も必ず意味がある。

 

ただ硬いだけのスルメも、

噛めば噛むほどに味わい深くなってゆくように、

(ただスルメの例えを言いたかっただけ疑惑笑)

 

根気よく向き合い続けることで、

現れるギフトがあるのですね。

 

 

こうして気づきに至れる日々に、

感謝です。

 

まるっ!!

 

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【気づき】それぞれの願い

今日は、

またひとつ大きな霧が晴れた。

 

そんな大切な気づきの日。

 

 

素直じゃない。

本音じゃない。何か隠している気がする。

 

そんな波動に触れた時、

とても寂しい気持ちと、

怖い気持ちが押し寄せる。

 

僕のこの気持ちはどこからくるんだろう??

 

自分の内側を見つめてみた。

 

 

思い当たるのは、

母が闘病中の頃のこと。

 

母は白血病で、

7年間の闘病生活の末、

僕が20歳の時に光に還った。

 

母の病気が発覚したのは、

中学2年生の頃。

 

当時は、

白血病という病気の意味がわからず、

母が死に至る可能性があるなんて、

思ってもみなかった。

 

 

入院している母が、

無菌室に入っているのをみた時、

ただ事ではないということを知り、

ショックを受けた。

 

それでも母は、僕や妹の前では、

どんな時も気丈に振る舞った。

 

愚痴や不安をこぼすことはほとんどなく、

強く優しい母であり続けた。

 

そんな母の姿に、

当時の僕は救われていた。

 

母は大丈夫、絶対病気は治る。

自分に言い聞かせることができた。

 

でも同時に、

そんな気丈な母の姿が寂しくもあった。

 

なぜなら僕は知っていたから。

 

僕も妹も寝床に入っている時に、

父に泣いている母の姿を。

 

祖父(母の父)と父にだけは、

怒りをぶつける母がいることを。

 

 

僕の知らない不安や葛藤が母にはある。

 

でも、

母がその感情を僕には見せてくれない。

 

僕にはそれがとても寂しかったのだ。

 

そして、

「僕は母の支えになれていない。」

心のどこかでそんな思い込みを育むようになった。

 

 

今僕が、

本音じゃない言葉や波動に触れた時、

怖くなったり寂しくなったりするのは、

 

その当時の寂しさや無力感、

そこから連想される母の死を思い出すからだと、

今朝気づくことができた。

 

 

 

母が光に還る直前。

 

夜、病院のベッドで、

意識不明の母のそばに、

つきっきりだった僕。

 

ずっと主治医を担当してくれていた先生が、

病室に来て、僕のそばで母を見ながら言った。

 

「君のお母さんはね、ずっと家族のために頑張ってたんだよ。

一時外泊の時も、退院した時も、

休むんじゃなくて、家事をしてたでしょ。

 

君が大学受験の時も、

できるだけサポートしたいって言ってね。

 

ほんとは入院する必要があるのに、無理してギリギリまで伸ばしたんだよ。

僕は止めたんだけどね。僕の人生で一番喧嘩した患者さんだよ笑

 

君のお母さんは本当に強いお母さんだね。」

 

 

僕はその言葉を聞いて涙した。

 

僕たちのためにずっと頑張ってくれた、

その愛への感謝の気持ち。

 

「僕は、母さんが生きててくれるだけでよかったのに。」

という寂しさの気持ち。

 

その両方があった。

 

そしてその寂しさの気持ちは、

ずっとずっと残り続けた。

 

 

その後、

紆余曲折を経て、沖縄に来て、

魂の世界に出会った。

 

「喜びに生きる」ことが、

僕にとって何より大切なこととなり、

 

病気を作り出しているのは、

自分の想い・感情なのだと知った。

 

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それを知ったことから僕の中で、

母が身を粉にして頑張ったことに対する、

寂しさの気持ちは無意識に強くなった。

 

あの時、母が無理しなければ。。。

もっと僕が家事を手伝っていれば。。。

母が自分の想いを手放すことができたら。。。

僕が母の恐れに気づいていたら。。。

 

もしかしたら、

母は今も生きていたのではないのか?

 

そう思うと余計に寂しく、

自分を責める気持ちにもなった。

 

何度もなんども気持ちを切り替えても、手放しても、

心のどこかでそんな気持ちが残っていた。

 

 

 

でも、

今日の朝の申し送りで、

仲間が僕に伝えてくれた一言が、

新しい光を僕に示してくれた。

 

「やっぱり男の子はお母さんの力になりたいって思うんだよね。

その気持ちすっごくわかるよ。

 

でも私はお母さんだから、(彼女は息子が二人います。)

あなたのお母さんの気持ちもすっごくよくわかるなぁ。

 

やっぱり親は、

子供たちに申し訳ないって気持ちも、

不自由ない生活をさせてあげたいって気持ちも、

絶対感じちゃうと思う。」

 

その言葉を聞いて、ハッとした。

 

 

 

人にはそれぞれの願いがあるんだ。

 

子供である僕の願いは、

「僕たちのために無理をしなくていい。

母に長く生きていて欲しい。」

だった。

 

でも、母の願いは、

「子供たちに幸せになって欲しい。

だから病気の私であったとしても、そのために力になりたい。」

だったのだ。

 

ゆえに、

子どもたちの前では気丈に振る舞い、

僕たちが不自由なく過ごせる環境を、

入院中も退院中も整え続けてくれた。

 

当時僕には、

母がいない寂しさはあった。

 

でも不自由さを感じたことは、

ほとんどなかった。

 

そのくらい、

母も父も一生懸命家族を守り続けてくれたのだ。

 

 

望むもの。

うちに秘めたる願いはそれぞれ違う。

 

僕の願いは僕のものだ。

 

その願いを母に託そうとするのは、

僕の期待であり、母への押し付けでもある。

 

 

母には母の願いがあったのだ。

 

 

もちろん母は、

生きるために一生懸命だった。

 

でもそれと同時に、

僕たちのためにも一生懸命だった。

 

無理してでも、命を燃やしてでも、

守りたいもの、叶えたい願いが、

母にはあったのだ。

 

 

そして今日も僕たちは、

元気に笑って生きている。

 

喜びに向かって、

日々試行錯誤を楽しんでいる。

 

かくして、

母の願いは現在進行形で叶っているわけだ。

 

すごいよ、母ちゃん!!

 

 

 

人にはそれぞれ願いがある。

 

どんなことを想い願うも、

個々人の自由だ。

 

それがたとえ

無謀であっても、偽善であっても、

自己犠牲であっても、

 

その願いが本人にとって美しく、

そうありたいと願うものであれば、

 

どんな願いも間違いではないし、

宝物なのだ。

 


【セリフ入りMAD】Fate/stay night『君の神様になりたい。』 ─答えは得た。士郎/エミヤ

 

 

だから僕は今日も、

自分の喜びを願い、行動する。

 

そして、

母に感謝し、平安を祈るのです。

 

本当にありがとう。

 

今日も気づきに感謝です。

 

まるっ!!

 

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【気づき】敏感さん、オンラインに戸惑う!

本日は、

Sangoの全体ミーティング。

 

いつもは、

東村に集合しておりますが、

 

自粛期間中でございますゆえ、

Zoomを使って2拠点でオンラインミーティング。

 

僕がいる中城は2人、

東村は5人。

という構成でやっておりました。

 

いつものように議長は僕。

 

 

これがなかなか戸惑った!!

 

何に戸惑ったのかというと、

情報量がいつもと違うということ。

 

オンラインでの一番の情報は声。

あとは、その人の顔の表情とかが、

画面越しにかろうじて見える。

(ただし、必ずしもみんな画面に向かって喋っているわけではない。)

 

1番の情報源の声にしても、

画面に向かって喋ってもらわないと、

聞き取りづらい。

 

向こうの人同士の会話なんて、

ごちゃごちゃしてて、

何言ってるか判別できない。

 

そして、

向こうの盛り上がってる空気感と、

ギャップが生まれて、

疎外感も感じ始める(笑

 

仲間はずれなんじゃね??

とかいう被害者意識。

 

観客席から試合をのぞいているような

傍観者のような感覚にもなってくる・・・。

 

などなど、

いつもと違う状況に、

とっても戸惑ったのでございます。

 

 

僕が普段の対面でのミーティングにおいて、

読み取り、感じ取っていた情報は、

声や顔の表情だけはなかったのだと、

気づかされました。

 

その場の雰囲気や、空気感、波動などなど、

目に見えない様々な情報を受け取って、

 

議事進行したり、

言葉を紡いでいたりしたのだと、

気づかされたのでした。

 

そして今回、

いつもと違う状況に、

なかなかパニックしたわけでございました!

 

 

でも、

なんとか試行錯誤しながらやりきった!

まだまだ改善もできる!

 

ある意味、

なかなか体験できない良い経験でございました。

 

改めて、実際に顔を合わせてのコミュニケーションも

大切だねっ!!

って思った本日。

 

今日も気づきに感謝です。

 

まるっ!

 

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