あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

言葉にできなかったとしても、同じ光を見ている。

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

Sangoは、

"霊的成長への実験"の場。

 

僕たちの営むあらゆることは、

"霊的成長への実験"なのでございます。


じゃあ、

「何をもって霊的成長とするのか?」

を見つめた時に、

僕はとってもお堅い考え方をしてしまうことがあるのです。

 

たとえばこちら。

 

naturalhspman.hatenadiary.jp

 

僕にとっては、

発達障害を理解していくことが、霊的成長への実験」

であるのでございますが、

 

これはあくまでも、

霊的成長の一側面に過ぎないのです。

 

しかし、

僕は0か100かで考える障害的な気質があるゆえに、

「自分の考え方が正しい」と思い込んでしまい、

 

発達障害を理解していくことだけが、霊的成長への実験」

であると決めつけてしまっていた最近がありました笑

 

ゆえに、

その考え方を人に押し付けようとしてしまっていたのです。

 

その奥には、

「同じでないといけない。」

「障害を差別されるのが怖い。」

という自分の中での差別意識・恐れがあったのです。

 

 

人は怖さゆえに、

同じ言葉を求めてしまう。

 

自分と同じ考え方でないと、

相手を受け入れられないことがある。

 

でも同じ考え方でなかったとしても、

実は同じ場所を目指していることは、

おおいにあるのです。

 

 

「霊的成長」一つとっても、

それはただの言葉にすぎない。

 

ある人にとっては、

魂かもしれないし、スピリットかもしれない。

 

ソウルとも言えるし、愛であるとも言えるし、

意識でもあり、精神でもある。

 

 

霊的成長への道も一つではない。

 

遺伝子や易経から読み解く人もいれば、

ヨガをする人もいれば、

カタカムナから理解する人もいれば、

宗教から至る人もいる。

 

Sangoの"生き方の道"には、

こんな言葉があります。

 

世界にある主要な宗教を、それぞれ『裡なるもの』につながる多くの『道』の一つとして認め、特定の教義は持たず、多くの人を受け入れ、送り出す。

 

どんな道であったとしても、

それは裡(うち)なるものにつながる道。

 

だからこそ「特定の教義」は持たないのが、

Sangoの道。

 

霊的成長にも、

明確な定義はないのです。

 

本来は言葉にすることすらできない光。

それを解釈している言葉が多種多様にあるだけ。

 

言葉が違っていたとしても、

同じ光をみている。

 

あとはそれを、

信頼できるかどうかですね。

 

 

一つの言葉・一つの考えに囚われることなかれ。

その奥にある光をしっかり観じよう。

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ。

 

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