こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える、
そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、
薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。
昨日は午前中のシェア畑開拓の後に、
午後は遺伝子易経勉強会でした。
今日のテーマは24番。
心の闇:中毒、天の才:発明、天の光:静寂。
僕たちは世界を地続きで捉えがち。
「AだからBになる。」
「前回あんな失敗をしたから、今回も同じことが起こるだろう。」
「あの先生が言ってることだから、正しい。」
物事に根拠や理屈を常に求め、
経験から物事を判断する。
問題を解決するために前例がないかを調べ、
著名な人の書いた本や、
ちゃんと資格を持った人の語ることにエビデンスを求める。
でもそれは案外、
誰かが開拓した道の後を歩いてるだけなことが多い。
すでに舗装された道だから、
歩くのも楽々。
でも、
それは誰かの後を追っているだけで、
自分のインスピレーションではないのです。
先ゆく人は、
常に誰も信じなかった道を信じて進んでいる。
今までの理屈や前例を超えたものを奇跡と呼ぶわけで、
僕たちの想像を超えた世界なんて、まだまだたくさん広がっている。
一歩一歩地面を歩く、論理を積み重ねるだけが、
この世界のすべてではない。
地面を歩くだけではなく、
空だって飛べる。
自分の予測の範疇をはるかに超えた発明は、
いつだって起こりうるのです。
じゃあどうすれば、
発明が起きるのか??
遺伝子易経にはこう書かれています。
自らの無知に進んで向き合うものだけが、この橋を渡ることができます。それは、自らが知らないということ、そして、これからも知ることがないかもしれないと言うことを、進んで認めることから始まります。(中略)自らの心に正直になることで、発明を生み出す環境を作り出します。
つまり発明が生まれるためには、
自分の無知を自覚することが必要なのです。
これについては、
最近の心当たりがひとつあります。
僕は去年からSangoの理事となり、
1年間新米理事としての勤めを一生懸命やってきたのです。
僕はプライドの高いめんどくさいやつのなので、
ほんとは右も左も分からない中だったけれども、
「できる風」を装い、理事としての責任を抱え込み、
頑張って来ました。
でもこの1年を振りかえってみると、
実は結構パニックしていた僕がいたことに、
最近気づいたのです。。
特にパニックしていたのが、
法人で使われる表現。
年に数回行われる社員総会や理事会の議案書や議事録、
法務局への提出書類など、様々な文書を作成する必要があり、
理事の中でもPCでの作業に強い僕が、主にその役割を担っていたのですが、
社会人経験がなさ過ぎて、
マジでなんて書いていいのかわからない。
「上記の件について以下の通り決議を求めます。」
日本語使ったことない!!
とにもかくにもわからない表現だらけなので、
僕は”前例”に従うしかありませんでした。
過去使っていた表現を使い回すという、
”前例”頼みの議案書や議事録を作り続けました。
でも、前例を読んでも、
なぜその表現になるのか理解できない。
だから"前例"にないことを
議案書に盛り込まなくてはならない時は、
めっちゃ困った!!
マジで一文もかけないではありません。
普段は割と流暢に文章を書いているだけに、
書けないことが超ストレスで。
でも「できない」と言えなくて、
ずっと一人で悶々と抱え込んでいました。
そして最終的には、うちのスタッフの中で、
そういった文章を書く経験の長けている人に聞いて、
その人の"前例"を完コピする。
無論そこに自分の発想はなく、
なぜそんな表現になるのかも全く腑に落ちていません笑
そんな状態で、
1年間なんとか文書作りをやって来たのです。
でも先日、
Sangoの社員総会が終わったタイミング後、
ついに爆発!
ゆりさんやまりえさんに、
「1年間ずーーーーっと
マジでなんて書いていいのかわからなかったんだーーーーーー!!!!」
と泣きながら吐き出した僕がいました。
僕にとっての無知の知。
1年経ってやっと言語化することができたのです。
そしてその翌日、
不思議なことが起こります。
社員総会の議事録を過去の"前例"に習って作っている時、
初めて「あれ?この言い回しおかしいぞ。」と気づく部分があったのです。
過去の議事録の言い回しが、
「表現としてふさわしくない」
と感じました。
そして、
いろいろ調べたり考えたりしているうちに、
なんと新しい表現を生み出すことができたのです!!
1年間、
表現の意味すら全くわからなかったのに、
たった1夜にして、
表現の意味の誤りに気づき、
新しい表現を創造できるようになっている!!
僕にとって、
自分の予想の範疇をはるかに超えた、
”発明”的な出来事でした。
「できる」ために必要なことは、
「できない」を自覚すること。
発見は無知から生まれる。
アリストテレスの語る
「無知の知」は、
奇跡を生み出す源泉だったのですね。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!