前にも触れましたが、
自分の書く文章に変化を感じています。
自分の内面の深い部分を、
また表現できるようになりました。
より奥深く、
そしてより流れるように。
文章が淀みなく出てくるのです。
すると同時に、
自分の中から恐れが出てきます。
僕を置いてけぼりにして、
言葉だけが一人歩きしてしまいそうな、
そんな恐さが出てきたのです。
あまりにも流暢に言葉が流れるものだから、
自分の等身大とかけ離れていってしまいそうな、
カッコばかりを取り繕って、嘘をついてしまいそうな、
そんな感覚に陥ります。
そんな時、改めて、
僕は何のために文章を書いているのか?
を自分に問うわけです。
僕は、
自分のために文章を書いていたはず。
書くことで自分が整理されるし、
表現できていることは自己肯定につながる。
書くことそのものが自分の喜びになっている。
しかし、不思議なもので、
我ながらとても素敵な文章が書けると、
誰かに読んでもらいたくなります。
美味しいご飯が作れたら、
誰かに食べてもらいたくなる。
そんな感覚。
それ自体はとても純粋で、
美しいものだと僕は感じます。
しかし、
美味しいって言ってもらえたら、
たくさんの人に「美味しい」って言ってもらいたくなる。
もっと評価してもらいたくなる。
このあたりから、
ボタンのかけ違いが起こり始めます。
目立つように装飾を派手にしてみたり、
やたらと高級な食材を使うようになったり、
ウケのいいメニューばかり作ったり。
どうしたら評価してもらえるのか?を追い求めるようになる。
結果として、
形ばかりで、中身のない料理になっていく。
「評価」を軸にし始めると、
自分が何をしたかったのか?
どんどんわからなくなっていってしまうのです。
だから改めて、原点に立ち返りました。
僕は、
自分という最愛の友人を喜ばせたくて、
文章を書いているのです。
僕がたった一人、僕に届ける文章。
それがこのブログに書き続ける文章なのです。
そしてこのブログは、
僕が自分の最大の喜びを表現し続けた時、
一体この世界に何が起こるのか?
という実験なのです。
だから、
僕が評価を求めにいった時、
すでに実験が失敗しているわけです(笑
ただ自分の喜びと創造性を追求する。
その軸をしっかり持って、
自分の文章の進化に対する怖れを手放し、
自分を信じて、引き続き文章を書き続ける。
初心に帰った本日でございました。
気づきに感謝です。
まるっ!!
( 全く同じようなことを1ヶ月半前に書いてたよ!笑 何度も試される癖ですな!)