あるがままに生きるために〜"祈りと喜びで育つ畑"エンパス男子の日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

命のバトンは渡されていた 〜僕にとってのすごい愛着〜

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

今日はものすごく個人的な気づきのお話。

 

”愛着”というものは、

人格形成においてとても大切なもの。

 

特に両親との間でどのような愛着を育むことができたかは、

その後の人生においてとても大きな影響があります。

 

健全な愛着を育めなかった結果として起こる症状は”愛着障害”と呼ばれ、

 

「人に嫌われているのでは??」と疑心暗鬼になったり、

人と関わるを避けてしまったり、

物事に情熱を傾けることができなかったり、

 

情緒や対人関係に様々な支障をきたします。

 

 

かくゆう僕も幼い頃から、

 「いい子でいないと両親に愛されてないのでは?」

という不安を抱えており、

 

この愛着障害に当てはまることが部分が多々あると感じていました。

 

だからこそ大人になった今、

改めて自分に対して安心を伝え、愛着を再生している今です。

 

naturalhspman.hatenadiary.jp

愛着障害について触れた記事はこちら

 

 

そんな僕ですが、

最近パートナーのゆりさんからハッとさせられる一言があったのです。


「あなたも愛着障害だというけれど、

あなたの中には一貫した芯や愛着のようなものを感じる。」

 

なんやて(・Д・)

 

親に愛されているか不安でずっといい子で生きてきたのに、

一番愛されたい対象だった母が、僕が20歳の時に光に還って、

誰に愛されたらいいのかわからず、フラフラと彷徨い続けた僕に、

芯を感じるとな!!

 

ゆりさんの言葉をきっかけに

実は自分が気づいていない愛着が育まれているのではないか?

と自分を見つめてみたら、ありました!愛着!!

 

その愛着は、

母の生き様からくるものでした。

 

僕が中学2年生の頃、

白血病にかかり闘病生活がはじまった母。

 

そこから7年間、

入退院を繰り返し、治療に臨んでおりました。

 

闘病生活をしながらも、

自分のことよりも子どもたちのことを優先する母で。

 

僕の大学受験の頃などは、

本当は入院しなきゃいけない状態でも、

無理をしてずっと家で家事をし、

受験を応援してくれていました。

 

そんな母が光に還る間際、

僕と妹が看取る病室の中、

 

僕は最期をさとり、母に問うたのです。

「僕たちにこれからどう生きて欲しいと思ってる?」

 

その問いに母はこう答えました。

「あなたたちの好きに生きたらいいのよ。」

 

その言葉は、

僕にとってとても衝撃的で。

 

あれだけ家族のために必死で生きようとした母が、

僕たちには何も求めていない。

 

ただ純粋に母は命を燃やしながら、

僕たちの人生を守り続けようとしてくれていたのだと、

そのとき気づきました。

 

それ以来この言葉は、

僕の胸に深く深く刻まれました。

 

 

母が亡くなった後、

一番愛されたい人を失った僕は、

 

当て所なく彷徨いながらも、

「好きに生きたらいい」の言葉を胸に、

がむしゃらに頑張り続けることができました。

 

しかし同時に、

母に先立たれたことに対する哀しみや怒りなどの感情は、

「僕の人生を救ってくれたすごい母」という美化によって、

抑圧されていきます。

 

「あんなに一生懸命母が生きてくれたのに、

そんな母に怒りを感じるなんて、あってはならない。」

「前を向いて一生懸命生きよう!」

 

と自分にハッパをかけ続け、

哀しみにくれる幼い自分を無視し続けていったのです。

 

 

そんな抑圧は、

沖縄に来て、爆発します。

 

ありとあらゆるガキな振る舞いをやりつくし、

自分の気持ちに素直になり、

幼少期からの両親に対する怒りや哀しみなどの感情が、

蓋を開けたように出てきます。

(あの頃の僕は盗んだバイクで走り出したかのようにひどかった!笑)

 

そして同時に、

精神世界への理解も深めてゆき、

病気は自分で創りだすものだと気づきます。

 

つまり、

「病気と必死に戦い、子どもたちの人生を守ったすごい母」

という美しいだけの聖母物語ではない部分が見えてきたのです。

 

母もまた、

自分の弱さや厳しさに葛藤し続けた1人の人間だったと、

理解を深めてゆくのです。

 

そんな母の弱さが見えてくると、一気に逆方向に振り切り、

「聖母だと思ってたのにそうじゃなかった!先立ったお母ちゃんのばかやろー!!」

となり、

母が僕たちの人生を守ってくれたという気持ちを、

なかったことにしてしまった時期がありました。

(ほんと、極端なのよ僕!笑)

 

あの頃は、

母の弱さを受け入れられないくらい、

自分の弱さを受け入れることができなかったのです。

 

そこからまた自分への理解を重ね、

自分の弱さをどんどん受け入れられるようになり、

ありのままの自分を解放できるようになってきた今。

 

また再びゆりさんの言葉をきっかけに、

 

母の、

「好きに生きたらいいのよ。」と

再会することができました。

 

そして気づくのです。

 

母に弱さがあろうと何だろうと、

やっぱり母が僕たちの人生を守り続けてくれたことは、

事実であったことに。

 

そして、

母の繋いだ命のバトンは見事に僕を支えています。

 

 

自分に対する大きな愛着の不安を抱えていた僕は、

特に自分の負の感情が爆発していた頃、

ことあるごとに死にたくなっていました。

 

でもそんな時、よく自分に問うたのです。

 

「今死んだら、母はどう思うだろうか?」

 

もちろん生きてる人たちが何と思うだろうか?

も想像しますが、

 

一番自分を鼓舞し、支えた想いは、

「母に繋いでもらった人生だから。」

ということ。

 

死にたくなるたびに、

何度もなんども自分に問い、その結果として、

今日も僕は笑って生きておられているわけです。

 

まんまと僕は、

母から命のバトンを受け取ってしまっていたわけです。

 

これを愛着と言わず、何と言おうか!!

 

 

生きている間に育まれることだけが、

愛着ではない。

 

光に還ってもなお、

子を支え続けてくれている親の愛情があるのですね。

 

心から感謝です。

お母さん、ありがとう。

 

今日も気づきに感謝です。まるっ!!

 

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