『道』という映画を見た。
僕の大好きな『日日是好日』という邦画の中で、
冒頭に語られる映画。
とても素晴らしい映画だった。
自分には何の価値もないと嘆いた主人公が、
どれだけ素晴らしい役割を果たしていたかを見せられて、
「当たり前なことの中にこそ、価値がある。」
ということを改めて気づくことができた。
僕たちは、
自分に「価値」をつけたがる習性を持っていて、
その性質ゆえに、非凡になろうとする。
「他の人と同じことをしては埋もれてしまう。」
「自分にしかない才能は何だろうか?」
「他のサービスと差別化を計らなくちゃいけない。」
自分の個性、オリジナリティを求め、
オンリーワンを目指そうとする。
そうでなくては、
この社会ではうまくやっていけないと、
思い込んでいる節がある。
非凡である人が取り上げられ、讃えられ、
成功者とされ、周りから憧れられる。
だからこそ、
平凡な自分であることを卑下し、
「自分だけの価値」を探し求めてしまう。
そんなところが自分にも大いにある。
とかく、
こうしてSNSなどで発信をしていると、
他の人と比較して、どうやったら目立てるだろうか?
とつい考えてしまう自分がたくさんいる(笑
それ自体も遊びの一つだし、
決して間違っていることではない。
でも、非凡であることを求めすぎると、
誰もがしている「当たり前のこと」の価値が見えなくなる。
当たり前のようにしている生活。
毎日太陽が上り、光がさす。
夜になると、虫の音が響き渡る。
晴れた日には、
洗濯物がよく乾いて、気持ちよくて嬉しい。
雨の日には植物たちが恵みを受けて、喜んでいる。
寝起きしている部屋、仕事をする場所が、
ちゃんとある。
そんな場所を大切に丁寧に掃除すると、
場が喜ぶ。そして僕の心も晴れてゆく。
毎日、命をいただいている。
目の前に差し出された野菜・肉・魚。
様々な調味料。
その一つ一つに関わっている人たち。
様々なもののお陰様で、料理が作れている。
美味しいご飯に、顔がほころび、
喜んでいただいた命が、僕の血肉となっている。
「どんな自分でも大丈夫」だと安心できる場所がある。
この場所で共に歩めている仲間がいる。
支え合い、助け合い、
時に泣き、時に笑い、時に喧嘩し、時に抱きしめ合う。
応援してくれる人たちがたくさんいる。
「広げたい。」と言ってくれる人がいる。
「手伝えることあるか?」と聞いてくれる先輩がいる。
「これ要るね?」と材料を譲ってくれる方がいる。
僕たちの生きるを支えてくれる人たちのお陰様で、
僕は今生きている。
愛されている。
家族に、仲間に、パートナーに愛されている。
僕の命を掬い上げてくれた人たちがいる。
可能性を信じ続けてくれている。
僕の命を使い道を、僕の尊厳を、
僕と同じくらい、いや時に僕以上に、
大切に考えてくれる人たちがいる。
目の前にいる大切な人たちが、
もしいなくなったらと想像してみる。
胸がギューっと締め付けられる。
この文章を書いているだけで、
泣きたくなる。
20歳の時に母を亡くした僕は、
「当たり前」は当たり前じゃない。
ということを知っている。
でも時に忙しくなると、忘れそうになる。
大切にできなくなる。
だから、
何度でも書き記そう。
今日も僕は起きれてる。
仲間に「おはよう」が言えている。
笑顔で伝え合うことができた。
有難うも伝えれた。
嬉しいが何度もあった。
大変!って思うこともあった。
あんなに死にたいと思っていた僕が、
今日は生きていることが嬉しいと思えている。
全部、今日も僕が生きているから、
味わえていることだ。
「Sangoは当たり前のことを何よりも大切にしている場所だと、
私は思っているよ。」
と仲間が伝えてくれた。
「そうだね。」と僕も頷く。
そんな場所に、
自分が今居れていることが有難い。
当たり前に生きている日々を、
何よりも大切に嚙みしめる。
そんな一日でした。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!