あるがままに生きるために〜HSP男子の自分研究帖〜

沖縄にある霊的成長を実験するコミュニティ“一般社団法人Sango”のスタッフ大北のブログ。HSP・アスペルガー・性別違和症候群などの特質を持つ僕が、あるがままに生きるために、日々自分を研究し、気づいたことを書き記しております。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

【学び】家族という安心

今日は、

学びを共にしている

癌の方が体調を崩していた。

 

朝の申し送りの時に、

声も出せないくらい咳をしていた。

 

「癌にとって、免疫が下がることがもっとも良くない。」

ということで、

病院で診察を受けることになり、

 

当初僕が、

車で送迎する予定だった。

 

 

しかしその後、

その方のご家族と連絡が取れ、

娘さんが車で送迎することになった。

 

 

すると、

驚くべきことが起こった。

 

その方は、

娘さんに送迎してもらえることが決まった瞬間、

元気になったのだ!!

 

全く声も出せなかったのに、

普通に会話できるようになっている。

 

さっきまでの重病感はどこへやら(笑

 

 

「家族が一緒にいてくれる。」

そのことに彼女が安心したのだと感じた。

(結局、病院で診察を受け、ただの風邪だとわかって、一安心)

 

家族という繋がりの、

大きさを感じた瞬間だった。

 

 

 

もこさんが、

ここで受け入れている他の癌持ちの方に、

 

「本当に危なくなったら、

家族の元にお返しするからね。」

 

と伝えていたことの意味を、

思い出した。

 

 

僕たちはやっぱり、

一番は家族に、

安心を求めているのだと思う。

 

 

Sangoには、

共に学び、理解しあえる仲間がいる。

 

同じ価値観を持つ仲間と共にあれることは、

とても安心だし、嬉しいし、有難いこと。

 

ここに来られる方の多くに、

そんな安心の空間に触れることを、

喜んでいただけている。

 

 

安心できる仲間と共に生きる。

 

それはとても幸せで、

有難いこと。

 

 

でも、我々や、

ここを訪れる方々が、

仲間と出会えたことに喜ぶ中で、

 

前振りとなる言葉が聞こえてくる。

 

それは、

「家族には理解してもらえない。」

「家族ではこんなコミュニケーションはとれない。」

という言葉たち。

 

「家族の中では、できなかった。」

 

そんな前提があるからこそ、

家族でできなかったことができる場所に

出会えたことが嬉しい。

 

そういう側面があるのだと感じる。

 

 

それってつまり、

本当は、

 

家族にわかってもらいたい!!!

 

そんな気持ちが、

人々の根底にあるのだ。

 

 

そしてその裏には、

家族に認めてもらえていない。

愛されていない。

という恐れが隠れている。

 

 

認められていないという想いは、

人を「しなきゃいけない!」に駆り立てる。

 

「どうせわかってもらえないでしょ。」

と親兄弟と線を引き、距離を置き、

「自分のことを自分でやらなきゃ!」

と頑張ってしまったり、

 

「親を打ち負かそう!!」「認めさせよう!!」として、

等身大の自分を超えて、

背伸びしたり、何者かになろうとする。

 

 

本当は、甘えたい。

愛されたい。

 

ただそれだけなのに、

勝手に拗ねて、自分を許せず、

無理をさせる。

 

その無理の積み重ねが、

病気を創り出す。

 

 

そして、

病気になった時に、

 

家族の関心をもらうことができて、

愛されていることに気づく。

 

病気を通じて、

人は、

家族という安心に気づく。

 

「あなたはありのままで愛されている。」

 

病気には、そんな大切なメッセージを、

伝えてくれている側面があるのだ。

 

 

ただし、

「家族に愛されている。」

という想いに、

 

「私が病気だから、」

という条件がついてしまうと、

話はややこしくなる。

 

 

「弱くて、病気じゃないと私は愛されない。」

という自分を創り出し、

 

病気な自分に依存してしまう。

 

病気を、

相手をコントロールするための武器にしてしまう。

 

 

うーん!

人はなかなか複雑な生き物だね!!!

 

 

じゃあ、

「愛されている。」

「認められている。」

という想いは、

どこまでいけば満たされるのだろう??

 

家族に対して、

自分の考えや生き方を完全に理解してもらい、

同じ道を歩んでもらいたい!!

 

昔はよく、

そんなふうに考えていた。

 

全部一緒じゃないと、

自分を認めてもらえていない。

 

そう思ってきたのだ。

 

でも、

そもそも人はそれぞれ違う生きものなわけで、

親と子で、

価値観が全く同じなんてありえない。

 

親や家族に対して、

ぶつかって、

怒って、叱られて、

泣いて、喚いて、

転んで、立ち上がって、

 

やっと見えてきた愛の大きさ。

 

naturalhspman.hatenadiary.jp

 

 

お互いの価値観が理解できなくてもいい。

同じでなくてもいい。

 

価値観とか、生き方とか、

そんなちっぽけなレベルではなくて、

 

命に対して、

愛があるのだと知った。

 

 

「子どものことはいつでも助けたいと思う。」

「子どものためなら、喜んで命を差し出す。」

 

そんな言葉に最近よく触れる。

 

 

喜んで生きて欲しい。

人生を全うして欲しい。

 

そんな想いが、

家族にあるのだ。

 

その想いが強すぎるがゆえに、

心配になり、

相手に自分の価値観を押し付けてしまうこともある。

 

誰一人として完璧な人はいないわけで、

弱さや頑固さ、自分勝手さは、

もちろんある。

 

相容れない部分もある。

 

でも、

だからといって、

無関心になれるわけではない。

 

どうしても心のどこかでは気になってしまう。

 

それはやっぱり、

愛してるから。

 

大嫌いだとしても、

大好きだから。

 

それが家族。

 

 

 

そんな家族に対して、

 

「相容れない」「わかってもらえない」

という2%の足りなさを見るのか?

 

「愛がある。」「応援したいと思っている。」

という98%の絆を見るのか?

 

 

自分が家族に何を見るかで、

この世界に対する安心や信頼は、

全く変わる。

 

 

人間にとって一番の喜びは、

自分の内からくる喜び。

 

自分で自分を喜ばせること。

 

つまりは自立。

 

自分で自分を喜ばせることが、

魂を輝かせ、

心を明るくし、

体を元気にする。

 

その喜びをもって、

困難や、病気を超えてゆく。

 

 

そして自立のために、

必要なのが安心。

 

「自分は愛されている。」

「ありのままの自分でいいんだ。」

という安心こそが、

 

人を自らの喜びへと向かわせる鍵なのだ。

 

 

そしてその安心を最も求めているのは、

やっぱり家族に対してなんだYo!!

 

というのが、

本日の結論でございます。

 

 

様々な経験を通じて、

家族に対する信頼と安心が深まってきている今。

 

お互いの生き方を尊重し合える関係性が、

少しずつできてきている。

 

そんな今があるということが、 

本当にありがたいです。

 

 

今日の気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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