こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える、
そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
先日、気質について、
新しい見解をいただきました。
「人」に反応するタイプの人と、
「コト」に反応する人がいるということ。
「人」に反応するタイプの人は、
"誰がやったか"が気になるタイプの人。
(以下、「人」タイプと表記)
「コト」に反応する人は、
"何をやったか"が気になるタイプの人。
(以下、「コト」タイプと表記)
「人」タイプの人は、
「何をやったか」はそれほど重要ではありません。
たとえば「遅刻をした」としても、
自分の好きな人に対しては許せるけど、
自分の嫌いな人が遅刻をすると、
厳しく叱責したりするのです。
つまり、
判断基準が人の好き嫌いだったりして、
かなり偏りがあります。
その代わり、
物事を受け入れることには結構柔軟です。
相手のことを受け入れられさえすれば、
「遅刻」だろうと「サボり」だろうと結構受け入れられるのです。
そして、
人とは突き詰めれば、
自分のこと。
自分が遅刻することをダメだと思えば、
相手に対してもダメだというジャッジを下す。
逆に、
自分のことを受け入れられればられるほどに、
人のことも受け入れられるし、物事も受け入れられる。
「あの人は敏感だから、
そうしちゃうのはよくあることだよね。」
とか、
「アスペがゆえの失敗だね。大丈夫だよ。」
とか、
人の気質を見て物事を判断できるので、
人にも自分に優しくなりやすいのです。
一方で、
「コト」タイプの人は、
誰がやったかはあまり関係ありません。
「遅刻をする」ことそれ自体に反応するので、
誰がやろうと、ダメなものはダメなのです。
このタイプの人の素晴らしい点は、
公正なところ。
そして、特定の人に対して、
恨みつらみをあまり持たないことです。
「コト=問題」が解決さえすれば、
起こったことは水に流せます。
(「人」タイプの人は、結構感情があとまで残るので、
問題が解決した後も、相手との間にしばらくわだかまりを残します。)
一方で、
「コト」へのこだわりが強いため、
同じような問題に、
なんども反応します。
遅刻する人が周りに10人いるなら、
10人の遅刻にいちいち反応してしまうのです。
そこに情状酌量の余地はあまりありません。
アスペやエンパスなどの相手の気質は、
あまり酌むことができないのです。
「どれだけ頑張ったか」という過程よりも、
「できたかどうか」の結果重視。
数字などのはっきり分かる「コト」を優先するのが、
このタイプの人々。
だから厳しいです。
なにより自分に厳しいのです。
以上が、
二つのタイプに対する僕の理解なのですが、
僕は今までこの二つのタイプがあるとは認識しておらず、
「コト」に反応するタイプの人に、
苛立ちを覚えることがよくありました。
なんども同じ失敗をしてしまう僕は、
「コト」タイプの人になんども同じように叱られ、
そのたんびに、
「どうして僕のことをわかってくれないんだ!」
となるわけです。
「僕があすぺで、繊細で、ポンコツだから、
それが苦手だってことは、もういい加減わかってくれるだろう。」
という僕の勝手な期待があったわけです。
でも、その人はなんども僕に起こるので、
僕は全然「僕」のことを受け入れてもらえないと感じて、
イライラすることがよくありました。
でもある時気づいたのです。
「あの人、前に僕が同じミスをしたことを覚えてない!!」
「コト」タイプの人は、
誰がやったかにあまりこだわりがないので、
僕が過去にやらかしたことなど、
とうの昔に忘れてしまっているのです笑
今この瞬間に「コト」が起こっていることが、
ただただ問題だったわけで、
僕という「人」を問題視しているわけではなかったのです。
そのことに気づけた時、
僕はホッとし、心がとっても楽になりました。
僕はどちらかというと、「人」タイプの人なので、
自分という「人」が受け入れられていることが、
何よりとっても安心なのです。
どちらがいい悪いではない。
あるのは気質の違いだけ。
「人」タイプと「コト」タイプの、
二つの気質があるということに気づけたおかげで、
また仲間に対する理解が深まり、
色々な対応の幅を広げることができてきています。
何はともあれ、理解が大切。
人という生き物は、
まだまだ奥深いですね。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!