神様が畑をやるとしたら、
どんな畑になるだろう?
最近よくそんなことを考える。
神様は、
万物に役割があることを知っている。
作物を育てるために、
薬も肥料も使わないだろう。
万物の創造主だから、
指をパチン!と鳴らすだけで、
種を芽吹かせ、花を咲かせ、
実りをもたらすこともできる。
何の苦労もすることなく、
一瞬で食べたい作物を、
実らせるかもしれない。
でも、待てよ。
それって楽しいだろうか?
目の前の生きとし生けるものたちの、
意思や尊厳を尊重しているだろうか?
せっかくあまねく数の命を創造したのに、
それぞれの意思を無視して、
自分勝手に操作してしまったら、
目の前の命はただの「物」で、
神様は一人ぼっちだ。
万物に命が与えられている。
呼吸をし、生きている。
仮に神様がそれらを創造したのであれば、
そこには必ず意味がある。それぞれの役割がある。
だとしたら、
神様はその役割を無視するような行いはしないだろう。
じゃあ、神様が畑をやるとしたら、
目の前の畑に対して神様は何をするだろう?
神様ならきっと、一緒に遊ぶ。
畑の微生物、土、植物たち、虫や鳥、
それぞれの役割を担った意思を持つ仲間たち。
たくさんの友と一緒に、
楽しくお話しするだろう。
元気に育ってる子には、
「ありがとう」って伝え、
なかなか育ちづらそうな子には、
「大丈夫。君ならできるよ。」って伝え、
虫や鳥さんには、
「僕も食べたいから分け合いっこしようね。」とやり取りし、
完璧な自然のリズムの中で、
その音に身を委ね、楽しみ、
自然の一部となって踊るだろう。
すべてに役割と意味があることを知っているから、
どんなものも敵としない。
ただ喜び、ただ楽しみ、
感謝の意を伝える。
それが神様のあり方としての、
今日の僕の答え。
そもそも自然はそれだけで完璧だ。
成長と衰退を繰り返し、
大きなリズムの中で、
循環している。
何の手を加える必要もない。
だとしたら、
人間の役割は何だろう?
人は自然の中で、
どんな役割を担っているのだろう?
ずっと僕はそれを探求しながら、
畑をしている。
そして傲慢かもしれないけれど、
僕はこの畑で、
「神様がやる畑」を目指してる。
完璧とは程遠い、
愛おしきポンコツな僕だけど、
技術や方法を駆使し、
コントロールするのではなく、
ただ一緒に遊ぶ。
完璧なリズムの中で、
共に楽しみ、声がけし、
励まし、喜び、感謝を伝える。
祈りをもって、一つとなる。
そんなあり方を実践すべく、
毎日実験中の日々なのです。
今日も畑仕事が楽しかった。
気づきに感謝です。
まるっ!
実験的にこっそり畑の日々のキロクをつけ始めました。
あくまで個人的なメモ書き。畑でやったこと、考えていることを好き勝手に書いております。人が読んで面白いかわかりせん。これも僕の頭の中を開けっぴろげにする実験。