あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

安心の中で

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「宿題してから遊びなさい。」


どこの家庭でも聞こえる一言。

そんな何気ない言葉が、

知らず知らずに自分をつくっていたりする。

 

過去の経験からくる無意識の癖に生きている僕ら。

そんな自分を切り替え、

今を新たに生きるために必要なことってなんだろう?


前回好評だった、

(好評だ。とか一度は言ってみたかった笑)

「わたしあってのあなた」

に関する更なる気づきのお話。

 

「宿題してから〜」の誤解


「宿題してから遊びなさい。」

とよく言われていた僕。

 

幼少期から僕にとって宿題は、

親に認めてもらうためにやるものでした。

 

宿題をしたら、遊ぶことを認めてもらえる。

宿題は免罪符みたいなもの。

 

お母ちゃんは、

「やるべきことをやってから、やりたいことをやった方がいいわよ。」

と伝えたかったのであって、

「わたしを喜ばしてごらんなさい。そしたら遊んでもいいわよ。」

と言いたかったわけではないでしょう笑


しかし、

勘違いboyだった僕は、
(あの子、僕のこと好きなんじゃね?みたいな勘違いも多かった!)

 

宿題は自分のためじゃなく、

親や先生に認めてもらうためにするものだと思い、

その手段は問わなかったのでございます。


なので、

学校の宿題もすりゃあいいんでしょくらいの感覚。

塾の宿題に至っては基本的に解答を丸写し笑

 

塾の毎授業中、先生にバレないかとヒヤヒヤ。

先生にお好み焼き屋さんに誘われ、一緒にご飯を食べた時も、

何言われるんだろうってビクビクで、全然美味しくなかった笑

(ビクビクするくらいなら行くなよ笑という話ですが、食い意地には逆らえない笑)

 


幼少期からそんな感じでずっと来たもんだから、

やりたいことをやる時、

それが周りに認められているのかすごく気になるのです。

 

やりたいことをやることを大切にしている集団なのに、

仲間に、「僕、あれがやりたい!」と言うとき、

許されるだろうかと、すっごくドキドキ。

 

自分のやりたいことをやるのに、

いちいち「これやっていいかな?」「この方法でいいかな?」

とお伺い立てることもしばしば。 

でも、「わたしが何言っても、やるって決めてるんでしょ。」ってよく言われる笑

 

時間があるから、

ジャンプをコンビニで読んでると、

なんだか罪悪感に駆られてました( ;´Д`)

(最近、週刊誌派からコミックス派に切り替えました!
15年以上続いた週刊誌生活から卒業!!)

 

 

「他の誰かの手伝いをせずに、

自分のやりたいことをやる自分」

を、無意識にジャッジしている自分が

ずっとずっといたのです。

 

根底にあるのは、

愛されていないんじゃないだろうかという不安。

 

こんな自分じゃ、

親に、先生に愛されていないんじゃないかって、

勝手に勘違いしていたのです。

 

 

安心の中で

そんな自分を脱皮するために大切なこと。

 

それは、

「安心」だったのです。

 

 

1人じゃない。

どんな自分も受け入れてくれる仲間がいるという安心。

 

そもそもそんな癖を幼少期から繰り返している自分。

完全に無意識。

気づかしてくれたのは仲間からの助言だった。

 

「やりたいこと」をしていいか、

いちいちお伺い立てる僕に、

 

「やりたいんだったらやったらいいよ。」

「結局やるって決めてるんでしょ笑」

「責任をわたしに押し付けないで」←!!!!Σ(゚д゚lll)

 

と仲間たちが伝えてくれたことで、

自分の癖に気づくことができたのです。

 

 

そして何より

そんな僕を笑い飛ばして許してくれるのです。

 

僕が「やるべきこと」でいっぱいになって

アップアップしちゃった時も、

 

逆に周りのことが見えずに

自分のやりたいことに猪突猛進な時も、

 

それを仲間たちは、

「またやってる〜!!」笑

と笑って許してくれるのです。

 

もはや罪悪感を抱えているのは僕だけという構図。

 

そんな風に笑われているのうちに、

なんだか自分のことを笑えてきて、

 

「他人」を優先させてようが、

「自分」のやりたいことをやってようが、

 

どちらにしても僕は愛されてるんだって

気づくことができたのです。

 

 

あっ、親も先生もそうじゃんって。

 

宿題しなかったとしても、

僕がどんなにダメだったとしても、

愛してくれたに決まってるじゃんって。

(塾の先生には多分バレてたと思う)

 

学校でも、悪ガキの方が先生に愛されてたやん!

(あれは結構羨ましかった!!僕いい子してるのになんでー!って思ってた)

 

と思い直すことができるようになりました。

 

 

どんな僕でもここにいていいんだ。

という安心あったから、

 

僕は、自分の癖を許し、

自由になろうという勇気を持つことができたのです。

 

 

気づかせてくれる仲間がいること、

許してくれる仲間がいること。

 

そんな環境があることに、

感謝感謝でございます。

 

読んでくれている方々にも、

是非この場所と仲間に触れてほしいと、

心の底から思っています。

 

どんな自分でもいい。

 

そんな安心を、

感じに来てください。

 

詳細はこちら〜!!

sango-okinawa.hatenablog.com

 

最後まで読んでいただき、

感謝です🌈

 

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