友人との電話
先日、東京にいる友人と電話した。
僕と電話したいなんて言ってくれる人がいるだなんて!
ほんと希少!!
東村の片田舎に住む僕と話したいだなんて、
なんと有難いことなのでしょう。
嬉しくって、嬉しくて、
なんだかとても楽しい時間を過ごせたのでございます。
そんな電話の中で、
彼が僕に伝えてくれた問いがある。
「ひろと話してると、なんか心の余裕があるなぁって感じる。
どうしてそうなったの?」
(あっ、僕の下の名前は「ひろあき」なのです。以後お見知りおきを笑)
なんと!余裕とな!!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
そんなものが僕に備わってるだなんてビックリ。
その言葉を素直にありがたく頂戴するとして、
一体その余裕はどうして生まれたのだろうか?
まず思いつくのが、この穏やかな環境だ。
沖縄のやんばるという大自然に囲まれて、
なんくるないさ〜が根付いた地域の人々と過ごす中で、
僕の中にも緩やかさは育まれたのだろう。
(東京の人と話したりすると、会話のスピードについていくのが大変!)
でもきっと、それだけじゃない。
一番大きく変化したことは、
「いろんな自分を受け入れていったこと」
だと思う。
できない自分を許せなかった会社員時代
大学を卒業して、東京で会社員をした1年半。
僕はプライドの塊みたいな人だった。
そこそこ学歴もよく、
体育会の部活で幹部もやり、
色々手を出していたもんだから、
「私はできる!」
みたいな言葉が頭にインプットされ、笑
できる人じゃないと、
何か大きなことを成し遂げないと、
ダメなんだという強迫観念に駆られていた。
表向きにはいい人ヅラしてるけれど、
内心は周りへの対抗意識もメラメラ燃やしていたものだった。
でも実際会社に入ってみると、
うまくいかないことばかり。
無自覚であった僕は、
事あるごとに固まりまくり、
周りと上手く合わず、
会社ではできるだけ普通にしてるつもりなのに、
「宇宙人みたいな人ね。」
なんて言われていた。笑
特に大変だったのは、飲み会!!その様子はこちら。
そんな上手くいかない自分を受け入れられず、
成功しなきゃと、
がむしゃらに何かを追い求め、
やたらといろんなものに手を出していた。
やたらといろんなものに手を出し迷走する私はこちらで拝見できます。
あのまま東京で社会人をしていたら、
きっと僕はできない自分を許すことができず、
できる自分・成功をずっと追い求め続け、
いつかは壊れてしまっていただろう。
いろんな自分とご対面
僕の中にいるのは、
できる男、イケてる自分だけじゃない。
(そんな自分がいると豪語しちゃう自信家な自分もいるよ笑)
本当に様々な自分がいる。
実は結構怒りっぽい。かなり不器用。
自分の意見を曲げない頑固さもあるし、
相手に責任を押し付ける、ずるいところもあったりする。
そしてすっごいサボり屋さんだ。
そんなサボり屋さんだったり、怒りんぼさんだったり、
諸々のことをずっと僕はダメにしてきた。
そんな自分はいないと
自分に言い聞かせてきた。
でも、沖縄に来て、共同生活をする中で、
自分には本当に様々な自分がいることに気づかされた。
会社を辞めたところで、
沖縄に高飛びしたところで、
生まれ変わってスーパーマンになれはしなかった笑
向き合うのは変わらず
自分だった。
できない自分、不器用な自分、サボりな自分、ずるい自分、
そんな見たくもなかった自分が事あるごとにわんさか出てきた。
しかも、共同生活において、それを周りからも伝えられる。
東京の頃には見て見ぬ振りができたのに!!
こちらにきてからは、
無視することはもはやできない、
自分と向き合うということについては、
むしろ前よりもハードモードな日々笑
そんな日々の中で、
様々な自分を知った。
そして受け入れるようになってきたのだ。
自分を語ること /自分シェアという時間
受け入れるようになってきたというけれど、
じゃあ具体的にどうやって受け入れるようになったのだろうか?
一番大きかったのは、
自分を語ってきたことだ。
Sangoでは現在、週に1回、
自分シェアという時間がある。
1週間の間で、自分にあった出来事や気づきを、
それぞれが思い思いに、
好き勝手語る時間だ。
(10人のシェアを聞くのに3時間くらいかかっちゃったりする笑)
この時間がとっても大切。
みんなに聞いてもらう中で、
許しへと向かっていく大切な時間。
沖縄に来てからずっと、
事あるごとに、あんな自分もこんな自分も、
みんなの前でたくさん表現してきた。
最初はおっかなびっくり。
そんな自分がいることに罪悪感や怒りを感じながら。
でも何度も話してるうちにだんだん気づく。
あれっ?誰もそんなに僕を責めてないんじゃね。
なんか共感してくれる人もいるやないか。
それどころか、すっごい笑ってくれてる。笑いを提供できてる!
関西人冥利につきる!
そう、
そんな自分を許せてないのは、
結局自分だけだったのだ。
苦しみからの解放
そのことに気づいたら、
なんだかとても楽になっていった。
あんな自分もこんな自分もいていいんだ。
そう思えていくうちに、
失敗しても、できなくても、
だんだん笑えるようにもなってきた。
会社員時代を振り返って今は思う。
できないことが苦しかったわけでも、
周りの環境が苦しかったわけでもない。
できない自分、
周りの環境に合わせられない敏感すぎる自分、
それを許せなかったことが苦しかったんだ。
そしてどんな自分も許せば許すほど、
心が軽く、苦しみから解放されていくのだ。
まだ僕は旅の途中。
ダメだって思ってる自分もたくさんいる。
抵抗しちゃう時もまだまだある。
でも最近、
生きるのがとても楽になった。のんびりになった。
そして、
自分を発見できる日々がとても楽しい。
こんな自分もいたんですか!
あんな自分もあるんですね!
そんな風に、
自分を知れることが喜びなのだ。
ここSangoでは、
生活しながら自分を見つめ、シェアし、許し、
解放していくことが根付いている。
生活しながら自由に向かうことができているのです。
とても贅沢でありがたい時間を毎日過ごせている。
そんな今に感謝感謝でございます。
※追記
この記事のタイトルを「自分を許すこと」としておりましたが、
読者からコメントいただき、
「許す」という内容・言葉がほとんど入っていないことに
気づきました!!笑
というわけでタイトルを「自分を受け入れること」
と改めたのでございました〜!!