あるがままに生きる〜敏感男子の山畑暮らしな日々〜

沖縄の山&畑で暮らす中で、“自分を生きる・自然と生きる喜び”を探求しているHSP&アスペルガーな男子。その日々の実験や気づきを書いてます。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

ぬくもり 前編  “親のために”→“自分のために”

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3才の頃、動物園で「あれはレッサーパンダでしょ!」と答えて、
家族から「すごい!天才だね!」と褒めちぎられた僕。
本当に天才だったのか、親バカだったのかは今となってはよくわからない(*´ω`*)

 

先日、 

 お山で仲間たちとともに

『ギフテッド』という映画を見た。

母を幼くして亡くした天才少女と、
その叔父さんが織りなす、
家族の物語。

 

 



才能を伸ばすこと、人間らしく生きること、
大切なことは何か?
を考えさせてくれるすごく素敵な映画だった。

感動・・・!!


この映画の中で、
少女のお母さんは少女がまだ赤ん坊の頃に、
自殺してしまう。

クライマックスで明かされるその理由に、
深く共感した僕がいた。

思い出されたのは、昔の記憶。

 


ある日の早朝、ベランダで


中学3年生の頃、
大嫌いだった中間テストの真っ只中。

もっぱら一夜漬け派の僕は、
いつも試験勉強はほぼ徹夜でやっていた。


それに加えて、完璧主義だもんだから、
全くもって終わらない笑

「ちょっと休憩。」と、

眠い目をこすりながらベランダに出て、

マンションの5階から下を見下ろし、
ふと思った。

 

「今なら、

飛び降りて死ぬのも怖くないなぁ。」

自然とそう思えた自分にびっくりして、

「そんなことしたら親が悲しむ!」

とすぐに思い直して、ベランダを後にした。

 

まさか試験勉強の一夜漬けが辛いと思うくらいで、

死んじゃってもいいと思うとは・・・!!

今となっては笑っちゃう話。

 

当時の僕を振り返ってみたら、

試験勉強の辛さに勝るほど、生きる意欲の湧くものがなかったのだ。

そしてそれと同時に、

そんなに辛かったとしても、

「親を悲しませない」ことが生きる意欲となっていた。

 

特に母親を。

 

「母のために」が当時の僕の生きる目的だったのだ。

 

  

その時、歴史が動いた

 

そんな僕にとっての人生史上最大の事件。

 

それは母がこの世を旅立ったことだ。

 

母は7年間の闘病生活を経て、

僕がハタチの成人式を迎えた直後、

息を引き取った。

 

これは大事件・・・!

 

なんせ、試験勉強の辛さだって、

母のためという気持ちで乗り越えられたぐらいなのに。

 

僕は成人を迎えた直後、

「母のために」という生きる目的を失ってしまった。

 

母の替わりを探す旅

目的を見失ってしまっていたことには、

当時の僕は全く気付かず、

 

1年後には、就職活動を迎え、

容赦無く「なんのために働くのか?」を

突きつけられた。

 

生きる目的を見失っているのに、

働く理由なんて見つかるはずないやないかーい!!

とツッコミを入れたくもなるが、

 

「大学を出たら、“一人前の大人”としていきなきゃいけない・・・・!!」

という無意識化での想いに突き動かされ、

 

他の多くの大学生と同じように、

僕は就職先を探すことに必死だった。

 

そして僕が選んだ会社は、

「社会の問題を解決する」ことを目的とした会社だった。

 

後になって気づいたことだが、

僕は母の代わりになるものを探していたのだ。

 

“母”の代わりに、“社会”

を生きる目的としようとしたのだ。

 

“母への愛着”の替わりが“社会”に務まるわけもなく

全く上手く機能しなかったけどね!!笑

 

 

壁にぶつかり、糸切れる。

 

そんなわけで僕は社会人になって、大きな壁にぶつかった。

 

会社に全然適応できない・・・!!

なんかいっつも緊張するし、

全然先輩とコミュニケーション取れないし、

飲み会が辛くて仕方がない。

 

社会人になったら、一人暮らしして、

素敵な女性とお付き合いして、

なんだかバラ色の自由な生活が送れると思ってたのに・・・!!

 

何が苦しいのかよくわからないけど、

なにかが違う。

 

今となっては、

僕はHSP(とっても敏感な体質)でアスペルガー気質がとても強いため、

環境に適応するのが非っ常ーーーに難しかったとよく理解できるけど、

 

当時は、

「自分にできないことなんてない。」

なんていうプライドの高さもあったもんだから、

できない自分を許すこともできなかった。

 

だから違和感を拭うために、

とにかくなんでも試した。

 

自己啓発にお金をつぎ込み、野外フェスの運営に携わり、

ミュージカルに出て歌い踊り、着ぐるみを着てイベントの司会をし、

会社に内緒で副業としてコーチンセミナーを主催し、

ネットワークビジネスをかじり、全く続かず、

やたらめったら色んな人をお茶に誘い、隙を見て会社のトイレで爆睡した。

 

違和感の答えを、

がむしゃらに探し求めた。

 

そして入社して1年とちょっとが経ったある時、

何かの糸がプツンと切れた。

 

「会社を辞めよう」

そう決意したのだ。

 

自分を生きる旅の始まり

その夜、父に電話した。

 

「明日、会社を辞めるって伝えることにしました。」

なんの脈絡もなく、

いきなりそんなことを言い始めるアスペルガーな僕。

 

驚く父。

「いきなりそんなこと言わなくてもいいじゃないか。

これからのことは考えているの?」

と問われる。

 

「全く何も考えてないけど、とにかく辞めることにした。」

と無計画な僕。笑

 

「それは無謀すぎる。」

と父から猛反対を受けた。

 

そして生まれて初めて、父と言い合いになった。

 

全く論理的でない僕の言動 VS 父の正論。

だんだん押され始め、どうしていいかわからなくなったその時、

僕の口をついて出た言葉。

 

「なんかわからないけど、とにかくこの胸の衝動に従いたいんだ!」

 

その言葉を聞いた父は、

「わかった。本当にお前は母さんに似てるね。」

「お前の人生だから、お前の好きにしなさい。」

と納得してくれた。

 

父は、僕の突拍子のない言動を、

今でも受け入れてくれている。

本当に器の大きい人なのです。

 

 

思えば、親に表立って反抗したことはこれまで一度もなかった。

 

親が喜んでくれる(と勝手に僕が思い込んでいた)ことを、

無意識のうちに選び、

いい子を演じ、いい学校に行き、いい会社に入った僕。

 

そんな僕の初めての表立った反抗だった。

 

ずっと「親のために」生きてきた僕が。

初めて「自分のために」生きることを選んだのだ。

 

自分を喜ばすことを生きる目的としたのだ。

 

 

ここから僕の“自分のために生きる”人生が始まった。。。

 

そんなこんなで僕は沖縄に来て、

6年間自分と向き合い、共同生活で人と適応しながら、

試行錯誤の中で生きる喜びを実践中。

 

“甘え”と“自立”

 

そんな風に、かっこよくは書いてみたけど、

実際はかっこよくもなんともなく、

失敗の連続。笑

 

失敗の中で、

自分の癖に気づき、受け入れ、変化する。

 

自立して自分を生きる“大人”になるために、

自分を知る実験を続ける日々。

 

そんな実験を一緒にしてくれる仲間を募集中だよ!

okinawasangohigashi.ti-da.net

 

そんな僕の最近の気づき。

 

親を喜ばせるために「いい子でいなきゃ」という想い。

その想いはどこから来るのかということ。

 

それは決して、

自分が原因でも、親が原因でもなく、

もっと根本的なところにあったのだ・・・!!

 

ということ。

 

そんな話は後編に続く。