こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
🌈今日やったこと🌈
・全体ミーティング2日目
手応えを感じた全体ミーティング初日とは、
打って変わって、
とっても苦しい2日目でした🤣🤣🤣
苦しくて、おかしくなって、
2時間ほど退席して、お山の下に降りてゆき、
泣いたり叫んだり、身体中が震えて痙攣したり、眠ったり。
自分に寄り添う時間をもらえて、
なんとか自分を取り戻し、
またミーティングに戻って、
最後までその場にいることができました。
「嬉しい1日があれば、
かならずまた試練のような1日がやってくる。」
生きるってすごく難しい。。。。
いつも気がつけば、抱え込みすぎて、
いっぱいいっぱい、あっぷあっぷ。
どうして自分がそんな状態になってしまうのか?
じぶんのことがうまくつかめない。
傍らで、
「えっ?そんな話だったっけ?」
と思うようなことを伝えられ、
さらりと正当化する姿を見たときに、
まるで全部自分が悪いような気がして、
どうしようもない無力感と怒りが湧き出てくる。
自分ばかりが頑張っているような被害者意識に、
どんどん嵌っていく。
記憶力が良すぎて、
「人の言ってることが前と違う。」
ということに反応しすぎてしまって、困る。
覚えている自分がバカみたいな気持ちになる。
人が取らない責任を、
全部拾っていってしまう。
「みんながやらないなら僕が。」
みたいな傲慢な気持ち。
まるで自分が偉いかのようになってしまいそうだけど、
そういうことでもない。
上手に分散できなくて、
首を絞めているのは自分。
一体何に反応しているのだろう??
記憶を辿れば、
家族の言動に混乱していた自分が、
まだここにいる。
親が自分に望むことを、
親のためにやってきたつもりが、
いつの間にか、
「あなたのやりたいことだから」
に変わっていた。
「できる子だ」と喜ばれ、気分良くなってたら、
「あなたが望んだことだったんでしょ。」と
いつのまにか梯子を外されたような気持ちになった。
それがとても怖かった。
今日も森の中でずっと、
「怖い」って気持ちが溢れて、
叫んでいた。
実際は、
僕の望んだことでもあったのだ。
「親に喜んでもらいたい。」
という自分のしたいが確かにあった。
喜んでもらいたくて始めたことから、
いつの間にか親が手を引いていて、
怖くなったのだ。
でも結果的に、僕が成せたことで、
喜んでくれた親がいたはずだから、
結果オーライ。
でも途中で、
言ってることが変わったことに、
戸惑ってしまったのだ。
同じことを今日もやっちまった。
親とすり替えて、
「"誰か"が喜んでくれること、傷つかないこと」
を無意識に選択してしまっている僕がいる。
"あなたが言ったことなのに、"
"あなたが喜んでくれるはずだったのに"
と相手に勝手に期待をして、
その通りにあなたがならなかったことに、
勝手に怒っているのだ。
相手の気持ちにばっかり添おうとして、
自分の本当の気持ちを置いてけぼりにしてしまった。
もっとシンプルに、
自分の気持ち、自分が"したい"ことに、
寄り添えばいいのにね。
モコさんが伝えてくれたこと。
「嬉しい1日があれば、
かならずまた試練のような1日がやってくる。」
には続きがある。
「自分を許せるようになるまでは。」
今日の苦しんだ自分を、
自分を追い詰めた自分を許すこと。
相手にも相手の傷がある。事情がある。
同じものが自分にもある。
そんな自分を許すこと。
今日は最後に、
「もうやりたくない」自分を許せた。
「やります。」と言ったカレンダーづくりを、
「手放したいです。」と伝えることができた。
それができたことは、
とてもよかった。
ほっとした。
いつのまにか、どんどんと、
気持ちが移り変わってしまう。
前言ってたことと、
今言ってることが違う。
ほら自分にも、
そういうところがあるじゃない笑
そんな自分の難しさを、
正面から自分で受け止めて、
自分から表現できた。
やったじゃん。
今日も無事に、
生きることができました。
ゆっくり休みます。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!