こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
「向き合うことが怖い何か」があると、
ついほかのことを一生懸命やってしまう。
目をそらしてそらして、
それでも落ち着かない笑
最終的に今日は父に、
「今回の旅費はいくらかかります。」
と伝えることができて、心に平安が戻った僕です笑
「お金を出してくれる」ことにOKが出ているけれど、
まだドキドキしてしまう。
結局のところ相手に問題はなく、
僕の問題。
恥をかくことへの怖さに対して、
えいや!と勇気を出して飛び込む日々。
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「もっと自己肯定感を持っていい。」
先日全体ミーティングで、
全員に対して相談役から伝えてもらった言葉。
胸に手を当ててみると、
こういう言葉をもらうのは、
今回に始まった話ではない。
毎年毎年、
誰かから伝えてもらってる言葉である。
毎年確実にできることは増えていっているし、
成長している。
にもかかわらず、
何度も繰り返し課題になる
"自己肯定感の低さ"。
今日気づいたことは、
「そもそも、
自己肯定感の受け取り方が違うんじゃね??」
ということ。
僕たちは当たり前のように、
"できること"を喜び、
"成長"を自己肯定感と繋げる。
でもそうすると、
できなかったり、失敗したら、
すごく落ち込む。
周りのできる人たちと比較して、
自分も"もっとできないと"にハマっていく。
さっきまで有頂天だったのに、
何かダメ出しをされただけで、
お先真っ暗。自暴自棄。
自己肯定感は地の底に落ち、
「自分なんて死んだらいいんだ。」
となる。
そんな上がったり下がったりが、
僕の日常。
だから「できること」ばかり喜んでいても、
自己肯定感は育まれない。
もう一つ必要なのは、
「できないこと」への肯定感(=許し)。
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父に「お金を出して」と伝えてから、
前よりものびのびと生きられようになった。
「親から自立しないといけない」という思い込み、
それが「できなきゃいけない」という自分への圧を、
手放せた。
自分の「できない」を許すことができたことで、
とても心が軽くなった。
もう1つ僕が、
とても楽になった出来事で思い出せたのは、
「畑」への執着を手放せたこと。
Sangoファーム中城の園主を中心として、
活動していた頃よりも、今の方がずっと心が楽。
あの頃は、
「立派な農園ができないと」という圧を、
自分にかけていた。
だから周りの農家さんたちと、
とても張り合っていた僕がいた。
ひとりで生計を立てている農家さんや、
畑の敷地全部を上手に活用できている方と比較し、
自分を頑張らせ続けていた。
「できる」まで自分を頑張らせようと、
躍起になっていた部分があったのだ。
執行理事・事務局長という役割をいただいてから、
「畑」といった1つの専門分野にとらわれなくなって、
すごく自由になった気持ちがある。
ADHDゆえに、
1つのものをずっと続けるのは本来苦手だし、
事務職という分野で「できる」を極めることはそもそも手放しているし(笑)、
競わなくていい。
という気持ちになれたことは、
とても嬉しい。
「できる」ことも嬉しいことだけど、
「できなくてもいい」と思えていることは、
もっと嬉しいこと。
今父と向き合えていることも、
「できない」自分を肯定する、
最高のレッスンになっている。
とても有難い。
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最近大好きな
『ちひろさん』という漫画に、
とても心に響くメッセージ。
app-manga.line.me
(LINE漫画で今なら7巻まで無料で読めるよ。)
自信が欲しいって言ったわよね?
他人の背中ばっか追いかけてたら一生自信なんか手に入らないわよ。
(中略)
そのくだらないマラソンに勝つ唯一の方法はね、
走るのやめちゃうことなのよ。
それしかないの。
『ちひろさん』第27話より
うん、そうだ。
ただ生きているだけでいい。
そして僕はこの場所で、
できようができまいが、
自分再生にチャレンジし続けている。
すでに"している"ことがある。
結果ではなく、
ただいまこの瞬間を認めよう。
今この瞬間の喜びが、
現実を創造する。
自分の中の
「できる」と「できない」で、
戦争する必要なんてない。
ただ生きることを許せばいい。
自分の内が平安な平和で在る。
取り組むことはそれだけ。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!
(ただ在るだけ)