こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
今朝も6時の申し送りからスタート。
毎朝今日やることをみんなに伝える時間。
今日の申し送りにて伝えてもらった学びは、
「自分が整理したことを簡潔に伝える」こと。
あれやこれやと事情を話す必要はない。
事情を長々と話したって、聞き取りきれないし、
「整理されていない」波動が伝わって、
聞いている方も結局混乱するだけ。
自分の整理は自分でする。
そのために自分を整える時間を持った上で、
申し送りに臨む。
これも自立に向けた訓練の1つですね。
そして今日紹介してもらったのは、
聴覚情報処理障害(APD)という困難。
まさに自分これだ!と感じた。
申し送りなどでそれぞれが伝えている中で、
言葉が音としてしか聞こえなくて、
何の話をしているのかわからなくなる瞬間が多々ある。
歌についても、
音としては聞き取れるけど、
歌詞が全然理解できないことがほとんど。
声を音としてしか認識できず、
内容は右から左なのだ。
だからこそ、
長い話は聞ききれない!
混乱の波動が伝わると余計に聞ききれない!
整理されたことを簡潔に伝えてもらえた時に、
ホッとする自分がいる。
また1つ自分の障害を理解できて有り難かった。
本日の作業は、
花壇に登るための階段づくり。
瓦礫を再利用して、
土とセメントと砂を混ぜたものをくっつけながら、
感覚的に積み上げていく縄文スタイル。
積み上げる前は、
「これどうやって形になるの??」
という感じでしたが、
とにかく体を動かして、
とりあえず積んでいく。
積み上げていくほどに見えてくるものがある。
(今日はかわい子ぶりっこポーズでパシャリ。)
途中、
お向かいさんの子どもたちが、
ふらりとやってきて、
作業をお手伝い(?)してくれた笑
子どもたちと関われることは楽しい。
しかし振り返ってみると、
同時に緊張している自分もいたことに気づく。
「怪我させないようにしないと」とか、
「服汚れちゃって大丈夫かな?」とか、
「子どもたちのペースに付き合ってたら、
自分の作業が遅れるのではないか?」とか。
子どもたちが楽しそうにしている姿を見たり、
一緒に戯れることは楽しいけれど、
同時に気にしちゃうことも結構あるんだよね。
気になったことは1つ1つ伝えていく。
「そこの土すくいたいから、手を退けてほしいな。」とか、
「服とか汚れちゃって大丈夫?」とか、
伝えると子供達は結構話を聞いてくれるし、
越してきたばかりのお向かいさんの
リフォーム工事の業者さんの作業にもよく混ざっているようで、
泥とかセメントとかにも慣れていた。
最終的には、
子供達は子供達で遊び、
僕は僕でおしゃべりだけしながら、
二人のことはあまり気にせず自分の作業を進める。
そうすると、
子供達は満足したのか、
「またねー!」と元気にお家に帰って行った。
受け入れると手放されるって、
こういうことなんだろうな。
そして縄文式階段は今日2段目まで完成。
感覚的に瓦礫を積み上げていくだけでも、
結構いい感じに形になっていっている。
うれしい!!
今日は作業の途中で、
スタッフ同士のすれ違いの通訳に入った。
一見怒っているように見えたり、
怖い顔しているように見えたりするのも、
一皮剥けば、
結局そんな顔している本人が"怖がっている"。
怖がっているから、強張った顔になり、
その顔に周りの人も怖がる。
"怖い"の玉突き連鎖。
怒っているように見える人に対して、
怒られるのではないか?と被害者的に受け取るのではなく、
その強張った顔の奥にある"怖い"や"寂しい"を、
感じとることができると、
被害者的緊張を超えてゆけるのですね。
自分の被害者意識を乗り越えるのに必要なのは、
自分も相手も笑い飛ばせる勇気!
通訳に入らせてもらって、
いい感じに話を繋ぐことができた感触。
これまたよし!
午後のGくんの会計の学びも
素晴らしくナイスな時間だった。
お金を受け取る、支払う、
その全てを通じて、
どんな気持ちで行動するか。
お金に関わる全ての動きは、
喜びでできるのだということを受け取り、
お金への解釈がまた広がった。
いつもありがとう。
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こうして1つ1つ、
感じたことを記していくと、
たくさん感じてることがある。
だからこそ、
整理してからお休みして、
今日を終わらせて明日へ向かおう。
今日も与えられた1日に感謝を込めて。
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