こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
🌈今日やったこと🌈
・ロールスクリーンのカビ取り
・ゲスト棟の荷物運び出し
・お昼に急に寝かされて、爆睡
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昨日、
最近関わっていた方が
光に還られたと連絡があった。
その事実は、
そうなるような気もしていたから、
すっと受け入れることができた。
それと同時に、
不思議な感覚も受け取った。
関わっていた時に、
相手に対して自分が感じていたことが、
光に還ったと聞いた瞬間に、
すーっと消えていったのだ。
感じたり考えたりいたことの中には、
どこか相手に対して、
「こうしたらいいのに」
という説教くさい言葉もあった。
そんな言葉も思いも、
全部すーっと消えていった。
その思いは、宇宙にとって
“必要なくなった”のかもしれない
と感じた。
同時に受け取ったのは、
相手に対して感じたこと、思ったことというのは、
生きていてこそ、相手に伝えてこそ、意味があるということ。
相手がそれを受け取るのかどうかは、
相手の問題だとしても、
自分が相手に対して感じたことは、
相手が”生きている”から成り立っている、
ことがほとんどなのかもしれない。
誤解を恐れずに言うなれば、
相手が光に還った瞬間、
相手にとっても自分にとっても、
無用の長物になってしまう。
死ぬことが悲しいとか、
死んだらなにも意味ないとか、
そういう死を憂う類のことではなくて。
“死ぬ”ことに自体に、
意味づけをするというよりも、
むしろ生きていることの意味。
この地球で生きている間が、
この地球での学びの期間であるということ。
だから、
生きている間に、
なにを学び、なにを残せたのかが大切。
なにを感じ、
感じたことを自分にどうさせたのかが大切。
一瞬一瞬、
目の前の命とどう向き合うか。
光に還ったその人は、
その人にとって必要な学びを、
今回の人生で受け取ったことだろう。
その人と出会った僕たちは、
僕たちにとって必要な学びを、
その人から受け取ることができた。
お互いに学び会えたことが、
とても素晴らしいこと。
僕はおうちに関わっただけで、
本人と直接関わる機会はなかった。
でもおうちとの関わりを通じて、
命を学ばせてもらった。
光に還った母を思い出し、
病気とは何かを見つめ、
結局のところ、
自分を癒す最大の力は、
この世界のどんな薬草や医学よりも、
“気づき”であるということを、
確信するに至った。
あとはそのサポート役。
気づきをいただけたこと、
感謝しかない。
生きてこそ、
伝えられることがある。
生きてこそ、
与えられる進化の機会がある。
今感じたことを、
大切にする。
気づきをいただけたことに、
心から感謝を込めて。
どうか光の中で、
平安であれますように。
まるっ。