こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
🌈今日やったこと🌈
・仲間のおうちから刈った草をもらってくる。
・朝ごはんにパスタ作る
・プリン作る
・違国日記読む
・韓国ドラマ見る
・郵便局行く
・夕ご飯食べる
"いつまでもこの登場人物たちの成長を見ていきたい。"
そう思える作品は、
僕にとって、とてもいい作品。
久しぶりに、
そんな漫画と出会いました。
途中まで無料だったから、
何気なく読み始めた漫画。
その空気感が、
自分でもびっくりするほど好きで、
後先考えずに、
残りの3巻をどどんと買いました。
そして、
お部屋でしっかりボロボロに泣きました。
何に感動したのかは、
いまだにうまく言葉にならず。
言葉にならないけど感動したってことが、
もはやすごい。
ジャンルを調べたら、
グラフィックノベルというそうな。
そんな作品と出会えたことが、
とても嬉しい本日。
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誰にでもわかるような、
はっきりとした言葉、
はっきりとした気づき。
自分に対しても、
観るもの読むものに対しても、
自分が表現するものに対しても、
レンジでチンしたらできちゃうような、
そんなお手軽さばかりを、
求めていた気がする。
結果を、結論を急いでいた。
なんども読んで、
「どういうことなんだろう?」って、
じっくり染み込ませて、
ふとした瞬間に答えが出る。
そんな深い問いかけと気づきの機会を、
"違国日記"が与えてくれた。
簡単にまとめて伝えようとばかりするから、
自分の日々感じていることの、
上澄みばかりを掬いがち。
だから、
ブログのタイトルも、
いつもとても安易だ笑
「何か気づきにまとめて分かりやすくしないと」
というドヤ顔バイアス。
もっと自分という生き物の中にある、
あれやこれやを味わいたくなった今日。
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朝という名前の主人公が、
中学3年生のときに事故で両親を失い、
母親の妹に引き取られることになる。
というところから始まる物語。
朝の境遇が、
母を亡くした僕と重なるからこそ、
共感する部分も多くあったような気がする。
親をなくすということは、
無条件で愛してくれる、
土台となる場所をなくすということ。
とても寄る辺がない気持ちになっていた、
20歳過ぎてからの自分を思い出した。
寄る辺がないから、
自分で立たなきゃ!という気持ちになり、
ところかまわずがむしゃらだった。
根底にあったのは、
"自分にはなにもない。"
という恐れ。
昨日ブログに書いたことだけど、
「あなたはプレイヤーになるよりも、
やることは任せて、色々なところを見回る方がいい。」
と最近色んな人から伝えられる。
プレイヤーに固執するのは、
"なにもないことが怖い"からだと、
気が付いた。
大工、畑、料理、家事などなど、
割となんでもそこそこできるけど、
器用貧乏で、突出した技術がない、
という思い込み。
技術的にもっとできる人が、
現れることが怖くて、
「負けたら自分になにもなくなるんじゃないか」
という無意識の恐れから、
プレイヤーであることに、
こだわる自分がいたことに気づく。
人に任せたくないのは、
凡庸な自分が必要とされなくなるのが怖い、
という古い記憶から。
ほんとはサボり屋さんなのにね笑
その意味では昨日伝えてもらった、
「"したい"ことを"させたい"ことに変える」
ということは、
僕にとって、
すごーく怖いことなんだな。
モヤのかかった、
まだ知らない世界。
怖いことこそ、飛び込んでいこっ。
今日も気づきに感謝です。
まるっ。