こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える、
そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、
薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。
憧れや尊敬の感情はとても素敵なものだけど、
それに囚われ過ぎると、
相手を間違ったメガネで見てしまうことになりがち。
大学時代から、
社会で活躍されている色んな方と交流する機会が多く、
そのたびに、
「この人すげー!!!」「こんな風になりてー!!!」
と思っていた若かりし僕。
そんな中で出会ったすごい素敵で尊敬できる人と、
一緒に活動をするようになった時期があるのです。
あの頃の僕は恋は盲目状態。
とにもかくにも、give,give,give。
この人に認められるためだったら、
できることはなんでもしたい!って気持ちでした。
他の活動とも掛け持ちする中で、
寝る間も惜しんで、自分を差し出し続ける日々。
その裏にあるのは、
「自分なんて大したことない。」
という卑屈さ。
自分は大したことないから、
差し出し続けないと、認めてもらえない。振り向いてもらえない。
一緒に活動するに値しない。
そんな気持ちが無意識にあって、
だからこそ自分のキャパを超えたところで、
自分を差し出し続けていたのでしょう。
その一方で、
活動に対する責任感はあまりない。
「最終的に、
このすごい人だったらなんとかしてくれるはず。」
という気持ちがどこかにあって、
一番大事な部分はどこか丸投げに
していたような気もします。
「この人についていったらなんとかなる」
という甘えの気持ちと、
「自分なんて大したことない」
という卑屈な気持ち。
この二つの気持ちが絶妙にマッチし、
相手を「なんでもできる完璧なすごい人」に仕立て上げ、
相手に依存し、他人軸で生きる自分となっていたことを、
最近思い出します。
というのも、あの頃から10年経った最近、
その人と再会し、
また一緒に活動する機会があったのです。
自分もSangoの活動に責任を持つようになって、
少しは大人になった状態での再会。
実際一緒に活動してみると、
相手は昔の僕が思っていたよりも、
結構焦ったり、迷ったり色々してるやん!!
完璧スーパー超人じゃなくて、
僕と同じような弱さもちゃんと併せ持った”人間”やん!!
そんなことに気づけたのです。
一方の僕は、
そんな相手のリアルに気づきつつも、
昔の僕に舞い戻ってしまったかのように、
相手に差し出し続けてしまって、
疲れちゃう場面も(笑
あぁ、
昔の僕はこんな風に自分を犠牲にして、
相手に依存していたんだなぁと気づいた、
とてもいい経験でした。
相手を「すごい人」にしてしまうことで、
失われていた対等性。
相手を勝手に「すごい人」にして、
「あなたなら、なんとかしてくれるでしょ!」
と相手に責任を丸投げしてしまう。
相手だって同じ人間なのに、
これってすっごく自分勝手で失礼やん!!笑
尊敬の念はとても大切だけど、
弱さも強さも併せ持った人間としての
"距離感"と”気遣い”もお互いに大切ですね。
「輝き」は全ての存在との一体性の中にあります。(中略)
人間が何かを見たり感じたりして、何か輝いていると褒め称える時、人間は輝きから分離し、一体性から離れています。そこに低い次元での輝きの投影はあっても、真の輝きは存在しません。
『遺伝子易経』 1番の天の光 ”輝き” より
あなたとわたしは本来一つ。
神も自然も恩師もメンターも、
決して「すごい存在」ではなく、
対等な存在。
それを勝手に「すごい」にしちゃうから、
自分を下げてしまって、
自分の輝きを失ってしまう。
対等性の大切さに気づけた、
とてもよき学びでした。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!