今日は母の命日。
数えてみると、
早いものでもう11年。
あの時二十歳だった僕は、
もう立派なアラサー👍
随分遠くまで来たもんだ。
と感じる今です。
何度も書いておりますが、
母の死は、
僕にとって人生の大きな転換点。
いい子でいなきゃ!
自分以外の何者かにならなきゃ!
と思っていた僕が、
あるがままの自分を生き始めたのは、
まさにここから。
自分を見つめ、理解し、
受け入れ、切り替え、
喜びに生きる。
今も続くその旅は、
あの日から始まりました。
あの時は自分が
こんな人生を歩むなんて、
思ってもみなかった。
畑仕事を愛し、
田舎暮らしを楽しみ、
魂の成長を共にする仲間と集い、
コミュニティを創り、営むようになるなんて
全く想像もしませんでした。
病気に対する見方も、
お陰様で全く変わりました。
有難い事に今も、
癌などの病気の方と向き合わせていただいたり、
生活を共にする機会を頂いていますが、
そんな方達を、
弱い人扱いすることも、
可哀想な人扱いすることもなく、
「嘘つきなんだから〜😎」
とか
「できないふりしない!」
とか、
病気のあるなし関係なく、
1人の人間として、
正直に言い合うことができる関係を築かせてもらえている。
その上で彼らの命と向き合う姿勢に、
たくさんの学びを頂いている。
病気を悪とするのでなく、
自分に気づくための大切なメッセージとして、
受け止めることができている。
母が病気の時とは、
全く違う見方で、
病気と向き合わせてもらえている。
そんな今があることが、
とても嬉しく有難いです。
母が光に還ったこと。
寂しい気持ちは、
今もある。
しかし、
あの日があるから、
今の僕の喜びがある。
万物流転。
畑の野菜たちが、
時には、
僕たちの命の一部となり、
またある時には、
土に還り、新たな命の糧になるように
全ての命は、
次の命へと繋がっている。
母の命もまた、
僕や家族、関わる人たちの命に繋がっているのです。
ならば、
そのバトンを受け取った僕は、
母の見せてくれた経験を糧に、
自分という木に
喜びの花を咲かせよう。
改めて想う今日です。
母さん、有難う。
与えられた今日に感謝です。
まるっ!!