あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

ぬくもり 後編 〜受け継がれる想いを超えて〜

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後編を書くにあたって

前編を書いた直後、妹からお叱りを受けました。

 

あなたはいつも素直すぎるし、突然すぎる。

ブログの内容が、

家族への配慮が足りてないんじゃないかと。

 

妹の、

家族を愛するがゆえの苦言、ありがたかった。

 

確かにそうかもしれない。

まさにアスペルガーという感じですね。

 

家族に伝えたこともない話を書いてしまったりしてる。

 

こんな形で報告してしまう僕は、

まだまだコミュニケーションが不器用ですね。

 

正直、続けようかどうか迷った。

 

でも、

書いた直後に読んでくれた友人がいて、

「共感した。後編楽しみにしてる。」

と伝えてくれた。

 

誰かの心に届いたこと、とても嬉しかった。

 

なので、

正直を開けっぴろげに書き続けてみることにしました。

 

一つだけ言うとすれば、

僕が過去に感じた(今となっては笑える)辛さや苦しさは、

誰のせいでもないということ。ましてや家族のせいだなんてありえない。

全て、僕が自分という存在への理解が足りなかったことが原因だ。

 

僕は家族を尊敬してるし、愛しているし、

この家族以外はありえなかったと確信してる。

 

それが文章から伝わらなかったとしたら、

僕の文章力のなさでごめんなさい。

 

あとはもう受け取る人達の捉え方次第。

そこは皆さまにお任せします。

 

というわけで後編に入ってゆきます。

 

「いい子でいなきゃいけない」

その思いはどこから来るのか?そんなお話。

 

 

(前編はこちら )

naturalhspman.hatenadiary.jp

 

 

自立と依存

 

最近、『子育てハッピーアドバイス』(明橋大二著)という本を読んだ。

(あっ、僕に子どもがいるわけじゃないよ!)

 

子育てハッピーアドバイス

子育てハッピーアドバイス

 

 

自分という“子ども”を理解するために読んだ本。

「自分もこうだったー!!!」という目から鱗だらけの内容だった。

 

その中で特に響いたのは。

 

「子どもの心は甘え(依存)と反抗(自立)を繰り返して大きくなる。」

 

という言葉だった。

 

 

赤ちゃんは完全に依存した状態で生まれて来て、

甘えることを通じて“安心”を覚え、

安心するから意欲が生まれ、

自立に向かってゆく。

 

そして、自立の中で失敗することで、

ビビって安心を求めて甘える。

そしてまた安心したら、

自立に向かってゆく。

 

その繰り返しで自立する心を育ててゆくのだということ。

 

甘えない子どもが自立するわけではなく、

甘えていい時に十分甘えた子どもが自立するということ。

 

ずっと、

甘えちゃいけない、自立しなきゃと思っていた僕には、

衝撃的すぎる内容だった。

 

 

いい子でいたかった僕

 

僕はずっといい子でいなきゃという想いが、

とても強かった。

 

表立って反抗したことは、ほとんどなかったと思う。

 

小学生時代は

「うっせぇ、クソババァ」なんて言えるヤンチャな友達に憧れた。

しかし、いい子でいたかった僕は結局一回もそんなこと言えなかった。

 

じゃあ、根っからの真面目かというと

そういうわけでもない。

 

親がいない間に思いっきりゲームしたり、

おやすみ〜って言った後に自分の部屋で暗闇の中で本を読んだり。

 

僕の反抗は隠れてコソコソが主流だったのだ。

 

中学受験のために塾に通っていたが、

塾の宿題を真面目にしたことはほとんどない。

 

その塾は解答が前もって配られ、答え合わせするまでが宿題という

とても良心的(笑)な塾だった。

 

おかげさまで全部解答を丸写しし、平気な顔で提出してた。

たまにわざと間違えるのがミソ。

 

そして塾の授業中は罪悪感を抱え、

バレないだろうかと、犯罪者のごとくずっとドキドキしてた。

毎授業がとてもスリリングな体験だった。

 

ある日、いつものように解答を丸写ししていたら、

バレてしまい、呼び出しを受け、叱られた。

「解答の方に誤りがあった。」とバレた理由を聞かされた時は、

この世の不条理さを子どもながらに嘆いた。

 

そして母に迎えてもらった時、

いい子でいれなかった申し訳なさで泣きじゃくったことを、

今でも覚えている。

(いい子でいれなかったというか、もはやあんまりいい子ではない笑)

 

 それだけ反抗してでもなお、

「いい子したかった」僕が、

求めていたものはなんだったのだろうか??

 

ぬくもり

幼い頃、母の布団に潜り込むのが好きだった。

 

休日の朝、まだ寝ぼけている母の元へゆき、

母に抱きしめてもらい、

母の首に触り、そのぬくもりを感じるのが大好きだった。

(おかげさまで僕は首フェチです笑)

 

でもいつの頃からか、

そうすることをやめていった。

 

「ママ」、「パパ」と呼んでいたのも、

いつのまにか「母さん」「父さん」と呼ぶようになっていった。

 

友達の輪に入りたくて、

 そうすることがかっこ悪いと思ったのもあっただろう。

 

妹が生まれて、“いい”お兄ちゃんになりたくて、

男としてかっこよくなりたかったのだろう。

(ちなみにそんな僕は妹が小学校に上がってから5年間、全然妹と口を聞かなかったそうだ。衝撃!

あの頃の僕は一体誰にとって“いい”お兄ちゃんになりたかったのだろうか?笑)

 

“立派なかっこいい男の子”になって、“いい”お兄ちゃんになって、

そこまでして本当に欲しかったのはなんだったのだろうか?

 

そのことに最近気がついた。

 

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やっぱりそれは、

大好きな母のぬくもりだったのだ。

そしてそこから感じた安心だったのだ。

 

それを僕はずっと求めていたのだ。

 

でも、「いい子でいなきゃ」「立派な男にならなきゃ」が強い僕は、

それを自分に許せなかった。

 

ただ抱きしめて欲しい。

愛に包まれて安心したい。

 

ただそれだけだったのに、

自分の望みを自分から遠ざけてゆく。

 

その無意識に気づかず、どうすれば安心できるのかわからないまま、

僕は大人になっていった。

 

甘えまくりな僕ちゃん

 

全てはバランスでできている。

 

甘えを満たしてないのに、無理に自立しようとしたら、

必ず反動が起こる。

 

僕のそれは、沖縄で畑仕事を始めた時にやって来た。

 

家事・料理・洗濯が全然やりきれず、共同生活する仲間に甘え倒す。

 

畑仕事の辛さにめげ、「やめます。」と言った翌日に「やっぱりやります。」と伝えることを毎週のように繰り返し、ボスに甘え倒す。

 

自分を律することが全然うまくいかず、金銭面で父に甘え倒した。

 

あの頃の僕は本当に甘えん坊の聞かん坊だった笑

 

それを受け止め、叱ってくれた皆さんには感謝しかない。

特に父の寛大さと愛の大きさにはいつも驚かされる。

 

会社を辞めて、飛び出して、

一刻も早く自立したいはずなのに、

自分でもなぜそうなってしまうのか?

不思議なくらいだった。

 

「いい子でいなきゃ愛されない。」が強すぎて安心がわからず、

無意識に安心を求めていたのだ。

 

周りに甘えることを通じて、愛されていることを確認し、

安心を得たかったのだ。

 

そのことに気づき始め、自分で自分を理解するようになり、

お陰様で僕は、自分を安心させることができるようになっていった。

 

仲間や家族が安心を教えてくれたことで、

僕は今、本当の意味で自立の道を歩んできている。

 

いい子でいなきゃはどこから来たの? 

僕を無意識に縛り続けていた

「いい子でいなきゃ」という想いは

どこから生まれたのだろうか?

 

親がそういったのか?学校教育がそうさせたのか?

はたまた日本社会の産んだ化物か?笑

 

その答えは意外なところからやって来た。 

 

先日、僕もずっとお世話になっている母の親友と電話した。

 

なにかのきっかけで昔話に花が咲き、

彼女は僕に

「あなたはずっといい子だったよね。」

と伝えてくれた。

 

僕はなんだか正直に話したくなり、

 

実はいい子のふりをしていたこと、

影でこそこそ反抗していたこと、

ヤンチャボーイズに憧れていたけど、いい子でいなきゃ愛されないと思ってできなかったこと、

 

そんなことを笑いながら伝えた。

 

すると彼女は言った。

「あなたのお母さんもよく言ってたよ。

私はいい子でいなきゃ愛されないのよって。」 

 

その一言に僕はハッとした。

 

あぁ、そうか。

これは血を通じて受け継がれてきた想いなんだ。 

 

思えば、母の父である僕の祖父から聞いた話もそうだった。

 

祖父は結婚を認められるまで7年かかったそうだ。

立派でないと認められないという想いは祖父もさぞ強かったことだろう。

 

僕らは両親からできている。両親はそのまた両親から。

連綿と続くご先祖様からの流れの中で、

受け継がれてきた想い。

 

僕の血に宿る想い。

その一つが、「いい子でいなきゃ」だったのだ。

 

原因は、親でも、環境でも、教育でも、社会でもない。

それらはきっかけに過ぎない。

 

僕らは血に宿す種火をすでに持っていて、

たまたまそこに、生きてる中で油が注がれて、

勝手に炎上していただけだったのだ。

 

その理解に至った時、

僕の中に大きな安心が訪れた。

 

 

受け継がれてゆく想いを超えて

母の親友は続けて、こう伝えてくれた。

「あなたのお母さんはね、あなたが例えいい子でなかったとしても、

ヤンチャだったとしても、絶対あなたを愛してたよ。」

 

それを聞いた時、涙が止まらなかった。

 

僕も絶対そうであったと確信する。

僕がどんな僕であっても、

あの人は僕を受けて止めてくれただろう。

 

僕がヤンチャをしたならば、

それを受け入れることで、母の中の想いも変わったかもしれない。

 

それでも、

僕は今世でヤンチャボーイズは選ばなかった。

いい子でいなきゃ愛されないとずっと勘違いしていたのだ。

 

母が他界する直前、

僕は母に、

「僕にどんな風に生きて欲しいの?」と聞いた。

 

彼女は、

「あなたの自由に生きたらいいのよ。」

と答えた。その言葉は今も僕の胸に生きている。

 

今振り返れば、彼女は気づいていたのだと思う。

僕がずっと母と同じようにいい子で生きていたことを。

 

もう親のために生きなくていい。

自分のために生きなさい。 

 

母の死と最後の言葉は、

“成人”を迎えた僕と家族への、母の命がけのメッセージだったのかもしれない。

 

親の愛は子の想像をはるかに超える。

 

母が他界して、もうすぐ10年。

それが母の死と向き合い続けた僕の出した一つの答え。

 

様々な感情と向き合ってきた。

悲しみもした。置いていったという怒りもあった。

自分のせいで死んでしまったのではないかという不信もあった。

寂しさは今もまだ少しある。あるものはあるでいい。

 

たくさんの感情を受け入れて、見つめ続けて、

たどり着いたのは、感謝の気持ち。

 

母があの時、あのメッセージをくれなければ、

今の僕はあり得なかった。

 

僕は、母の死を通じて、

「いい子にしなきゃ」というずっと続いてきた想いを

乗り越えることができた。

 

僕たちは両親からできている。

その想い、感情、癖を引き継いで生きている。

 

受け継がれた想いを受け入れ、手放し、

新たな喜びを歩むこと。

 

それをまた一つすることができた。

それがとてもとても嬉しい。

 

この話は、僕と母との物語。

この物語にもまたこれからも発見があるだろう。

 

そして、

 

父や妹ともまた別の物語があり、新しい自分発見が待っている。

 

それを紐解いていける今とこれからがあることがとても嬉しい。

 

元気に生きている家族がいることがありがたい。

 

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 明けない夜はないのだ!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

皆様の日々に新たな気づきがあり、平安に包まれることを祈っています。

 

感謝を込めて。

 

 

 

※この記事は公開後、大幅に修正させていただきました。 

 その理由はこちら。

 

naturalhspman.hatenadiary.jp

 あぁ、お恥ずかしい!!

学びの日々はこれからも続いてゆくということですね笑