こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
今日は人と向き合う1日だった。
感じたことを伝える。
妥協するでもなく、遠慮するでもなく、
僕が感じたという"事実"を事実として伝える。
向き合いが始まった時には、
見えなかったゴールも、
朧げにしか感じれなかった"想い"も、
言葉を紡いでいくことで見えてくる。
だから、
正解不正解に囚われずに、
伝える訓練。
今日もさせてもらえて有り難かった。
今期から、
Sangoが新たに掲げた生き方の道。
がんばれない私たちの小さな喜びが
Sangoを動かす大きな力となる。
この言葉は、
単純に見えて奥深いなぁと、
感じた今日。
まずもって、
"がんばれない私”を認めることが、
そもそもの旅だ。
頑張って生きることが当たり前なこの社会で、
頑張ることを手放すことは、
なかなかの革命だ。
そもそも頑張っている自分に気づくことが難しい!笑
手放しても手放しても、
"頑張る私"は出てくるもので、
だからこそ、
日々の内観を通じて、
頑張りに気づき、手放して自由になっていける喜びがある。
がんばれない私たちを肯定している。
ある意味天国(笑
にもかかわらず、
頑張ってしまうのはなぜだろう?
今日受け取ったのは、
恥とプライド。
がんばれない自分でいるとは、
できない自分を共有すること。
頑張ってできることは、
頑張らないとできないこと。
がんばれないを受け入れた分だけ、
できないことが増えていく。
つまりできない自分を、
お互いに伝え合い、補い合う必要が出てくる。
できない自分、失敗した自分、やらかした自分、
それを恥だと思ってしまったら、
分かち合うのが難しい。
恥をかきたくないから、
頑張ってしまうのだ。
がんばれない私であるためには、
恥意識を受け入れ、手放していく必要がある。
もう一つはプライド。
プライドに根差した自立。
自立=自分の足で立つこと。
という解釈。
一人でするのが当たり前。
一人で道を開くのが当たり前。
自分ができないとダメだ。
そういう思いが強ければ強いほど、
一人で担う量が多くなる。
一人で担う量が増えれば増えるほど、
頑張るに繋がっていく。
自立という言葉をどう捉えるか?
ある障害者の方が、
自立=頼れる相手を増やすこと。
であると伝えていた。
自分一人で立つのが難しい。
それを知っているからこそ、
伝えられる言葉だ。
一人で生きているというのは、
実は勘違い。
どんなときもどこにいても、
たくさんの支えがあって、
補い合って生きている。
僕たちに必要なのは、
一人で二本の足で立つことではなく、
そもそも一人では立てないことを自覚し、
手を取り合っていることを知った上で、
自分の足も地面につけること。
自分のできることで、
貢献するということだ。
恥とプライドが、
僕たちを頑張る方向へ向かわせている。
そんな社会をみんなで作った。
がんばれない私であるためには、
頑張る世界で創ってきた私を、
ひとつひとつ気づき、手放していくことが必要。
がんばれない私には一朝一夕で在れず。
生き方の道とは、
すでにあるものではなく、
歩んでいる道なのだと受け取った今日。
この活動は生き方革命。
この道を歩ませてもらえている今に、
感謝を込めて。
⚪️今日感謝したこと⚪️
・今日も細胞たちが僕を生かしてくれたこと。
・仲間が正直を受け入れてくれたこと。
・自分にできないことをしてくれた仲間がいたこと。
・美味しいご飯をいただけたこと。
・出張に行っていた仲間たちが無事に帰ってきてくれたこと。
今日もありがとうございました。
まるっ!!