こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
魂の学びを通じて、霊的に成長する。
そして喜びを受け取り、愛に生きる。
それを第一に目的として、
Sangoの活動を続けてきました。
にもかかわらず、
にもかかわらずですよ!!
学ぼうとする自分を、
妨げている何かがあるのです。
真剣になれない。受け身、消極的!!
「外部から来てくださる方の方が、
よっぽど真剣なんじゃないかい??」
と思ってしまうくらい、学びに消極的になってしまう、
なんだか暗ーい海の底にいるような、
薄ぼんやりとした膜を感じる瞬間がちょこちょこありました。
学びたいはずなのに、
学びに真剣になれないとはこれいかに???
学びを妨げていたものはなんなのか?
というお話でございます。
(答えは数行後にすぐでます笑)
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そして本日の夜は、
みんなで動画を見てのシェア会。
劣等感に関する動画ですねん。
これを観て、ピーンときました。
自分の”学び”を妨げているのは、
劣等感やー!!!!!!
というのも、
動画を見ている最中、
だんだんと動画が耳に入ってこなくなり、
眠くなってしまいました。
なんでだろう??と思い、
自分を内観したら、気付いてしまいました。
「話し手のダイキさんに
対抗意識を燃やしているやん!!!」
僕と同世代の人が、
こんなにカッコよく色々伝えている。
嫉妬メラメラしてる自分がおりました。
劣等感キター!!!!
そのことに気づいた瞬間に、
耳が開きました。
動画を再び観れるようになったではありませんか!!
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あの人に劣っているのではないか?
という劣等感。
あの人よりも自分が優れているのではないか?
という優越感。
この2つを行ったり来たりしながら、
相手に勝とうとすることばかりに意識がいった結果、
自分と相手を分離しちゃう。
つまり、
「相手も自分もひとつである。」
という真理から外れてしまうのだと理解しました。
相手と自分が1つであるならば、
相手が語る全てが自分にとって必要な学びだはず。
っていうかこの世の全ては鏡であり、
霊的向上のためのメッセージ。
にも関わらず、
「自分の方が優れている。」
と傲慢になってしまうから、
必要な学びが受け取れなくなってしまうのです。
それは、
傲慢であることがダメなのではない。
大切なのは、
"傲慢な自分がいる"という理解。
「自分の中に7つの自分がいる。」
とモコさんが最近伝えてくれています。
その1つの自分が劣等感。
それをジャッジするのではなく、
その自分の声に気づけばいいだけ。
「あっ!これは劣等感くんの声だね。
お喋りしたかったんだね。」
と気付いてあげたら、
すっと抜けていくのだということを、
受け取ることができました。
魂に生きる自分・そのために学ぶ自分と、
学びを妨げようとする自分。
「学びたい!」という気持ち1つとっても、
いろんな自分が複雑に絡み合っている。
それを1つ1つ理解していくことこそが、
まさに魂の学び。
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別の光田さんの動画での、
劣等感の話も印象的でした。
劣等感から学ぼうとすると、
途中までは真剣に学び、向上するのだそうですが、
ある段階で頭打ちになるそうです。
ウサギとカメのウサギみたいな感じですな。
優越感と劣等感を行ったり来たり。
周りと比較して勝っていることに満足してしまうウサギくん。
学ぼうとする自分を妨げているのは、
自分の中の劣等感ウサギくん。
周りに比べて勝っているような気がして、
優越感に浸れたことに満足している。
真理に近づくために学ぶのではなく、
勝つためになるために学んでいた。
なんと!なんとお恥ずかしいことでしょう!!
この数ヶ月の繰り返し無限ループ。
ずーっとあった頭打ち感は、
劣等感にあったのだと受け取りました。
最大の難関である劣等感ウサギくんと、
向き合う段階まで来たということなのですね。
7つの顔の自分への理解を通じて、
生命の本質へ近づいていく。
学び深き時間をいただくことができました。
今日も気づきに感謝です。
まるっ。