こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
今日は、
「石を投げる」ということで、
思い出したエピソードから、
気づきがありました。
小学1年生の時、
松ぼっくりを集めるのが大好きだった僕。
友達何人かと一緒に、
校庭にある松の木から松ぼっくりを収穫していました。
手の届く範囲の松ぼっくりはあらかた集め終わり、
まだまだ満足できなかった僕たちは、
上の方にある松ぼっくりにめがけて、
石を投げ始めたのです。
すると、
松の木に向かって投げていた石のうち1つが、
木を飛び越えて、
小学3年生の女の子の頭に当たってしまったのです!!
全く自覚がなかったのですが、
その石を投げた犯人は僕ということになり、
数日後、母親と一緒に謝罪に行くことになりました。
授業が終わって、図書館で母親が来ることを待っていた僕は、
日常のルーティンとかけ離れた1日の展開に、
「これはとんでも無いことをしてしまったぞ」と思い、
とても申し訳ない気持ちになっていました。
そして、
相手の女の子の家に、母親と一緒に出向き、
心からごめんなさいして、一件落着。
しかし話は終わらなかったのです。
後日、先生から再び呼び出しが。
松ぼっくりを投げた当時の現場検証をしたいとのことで、
先生と校庭に行き、
僕が石を投げていた位置の確認をしたのです。
そして、
「ここから僕は石を投げました。」と先生に伝えた時、
先生から衝撃の一言が。
「あれ?ここから投げて、女の子に当たるなんてありえない。
別の子が投げた石かもしれないね。」
えっ・・・・?僕じゃないの??
心の中で非常にびっくりました。
しかし、
戸惑いすぎてなんと言っていいかわからず、
結局何も言えずに、その検証は終了したのです。
僕にとって、
とてもモヤモヤした出来事として、
心にずっと残っていたエピソード。
それを今日、
急に思い出したのです。
本日の申し送りにて、
僕はこのエピソードをみんなに共有しました。
僕がこのエピソードから受け取った教訓は、
「モヤモヤしてる気持ちは、曖昧にせず伝えた方がいい。」
ということだと、みんなに伝えました。
するとモコさんが、
感じたことを伝えてくれました。
「確かにそれもあるかもしれないけれど、
みんなを代表して謝った救世主だって、
自分のことを思ってもいいんじゃない??」
なんと!!
そんな考え方もあるのか!!
僕は驚き、そして気づきました。
確かに僕は、
「直接の当事者じゃなくても、代表して謝る。」
という場面があった時に、
いつもモヤモヤした気持ちでいました。
どうして僕が謝らなくてはならないのだろう??
と心の何処かで思っていたのです。
つまりこの気持ちは、
松ぼっくり石投げ事件の時から、
ずーーーっとループしている気持ちだったのわけです・・・!!
「こういう時に、
誰かを救う救世主だと思っていい。」
というプラスの発想を気づかせてもらったら、
心がすっと開いて、嬉しい気持ちになりました。
1つの出来事に対して、
プラスとマイナス、どちらの気持ちも選択することができる。
でも大切なのは、
マイナスがあってこそ、
プラスも活きるということ。
内心モヤモヤしているのに、
表現せずに”自分が救世主になればいい”と思ったとしても、
マイナスを許せていないから、
自分を無理させていい人している結果になっている。
モヤモヤする気持ちに気付いたから、
「救世主だと思っていい!!」と、
モヤモヤを超える気持ちにも出会えたわけです。
「モヤモヤした気持ちもあったけど、
救世主になることにしたんだ!かっこいいじゃん、ぼく!」
という、
マイナスがあって切り替えたプラスがかっこいい。
逆もまた然り。
「今回は誰かを救うために僕が謝ったけど、
もちろん傷ついてもいるんだ。」
これもまたヒーローっぽい!!笑
全てプラスじゃないといけない。
という話じゃない、
マイナスがあってこそ、
切り替える方法に気づけた喜びがあり、
プラスの発想がより活きてくる。
1つループを終わらすことができた、
とても嬉しい気づきでした。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!