こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
🌈今日やったこと🌈
・食たまミーティング
・事務局ミーティング
・全員で話し合い
県外出張時、
自分にチャレンジさせたことは、
「自分のイメージを信頼」すること。
ワークの中身を詳細に決めるのではなく、
その場に立った瞬間の、
湧き出てくるインスピレーションで、
参加者さんと一緒にワークを創っていく。
ライブ感というやつか。
型に嵌りたがる僕にとっては、
大きなチャレンジ。
ワーク中、
自分の裡から湧き出てくるイメージを、
肯定し続ける。
感じたこと、思い出した経験を、
とにかく言葉にして伝えていく。
絵が見えてきたら、
ホワイトボードに書いていく。
(ホワイトボードを全力活用。Gくんからの会計の学びを自分なりにアレンジ)
自分を肯定して、
世界に表現する。
そんな挑戦をし続けた。
やりきってみて、
もちろん課題はあったけれど、
個人的にはとてもよかった。
すごく自由で楽しかった。
全て最初から決まっているからこそ自由。
即興は即興にあらず。
喜びはすでにそこに在る。
宇宙への信頼を、
経験することができた。
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自由を経験できた一方で、
僕はとってもコピーちゃんでも在る。
これまで自分が経験してきたことは、
イメージにつながり、
自信を持って、伝えられる。
(福岡でのワークは経験をたくさんお伝えした場でした。)
けれど、
経験にできていない(と思っている)ことは、
自分に発想がないから、
まるっとそのまま人のコピーをする。
人から与えられた型を、
さも自分のアイデアのように受け取り、
嵌ってしまう。
人のアイデアを無意識にコピーしてしまった時、
自分の創造は湧き上がらない。
人の型に嵌ってしまうと、
自分じゃなくなる。
強い人の意見に弱いのだ。
"正解"に弱いのだ。
あの人が言うことが"正しい"。
になってしまう。
するともう、
自分は"正しく"なくなってしまう。
"正しい"意見に沿いたくなる。
あとはただただコピーを繰り返していくだけ。
そんな時には、
周囲からも発想が生まれない。
人は自分の鏡だから、
自分がコピーをすれば、
周りもコピーをし始める。
結果として、
1つの意見にただただ賛同する思考停止しか、
今日そこには起こらなかった。
コピーが悪いわけじゃない。
コピーしていることに"気づけば"いい。
"責任ある"からって、
正解を常に出さないといけないわけではない。
わからない時は、
わからないと伝えたらいい。
それが素直だし、正直だし、
自分の"わからない"というイメージを
信頼し肯定することになる。
わからないのにわかった風して、
自分を騙して、
無意識に人の意見をコピーしているから、
話はややこしくなるし、広がらない。
分かった風したい"状態"
「コピーちゃん」という"状態"
恥をかきたくない"状態"。
それは自分じゃない。気質(=記憶)だ。
責任感じているからって、
無理に背伸びする必要はない。
自分のうちにある"弱さ"を、
素直に肯定すること。
それが今日いただいた学びでした。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!