こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
昨日は朝8時から急遽ミーティング。
12時まで話し合ったけど、話はおさまらず。
また再び15時からミーティング。
結果深夜0時までミーティングだった。
ミーティングのきっかけは、
スタッフTさんの住居に関する話。
「先日決めたことを変更したい」
という話だった。
「もうあと一歩で引っ越す。」
という段階で、
本音を伝えてくれた。
決まったことが覆る。
それは決してダメなことではないと受け取る。
変更になって、
戸惑うときもあるけれど、
覆してでも、
本音を伝えてもらえた方が大切だ。
本音を押し殺し、
流されたままで生きてきたことが、
過去の自分たち。
過去を超えるために、
今ここにいる。
ならば、
時には決めた「こと」よりも、
本当に生きる「人」を大切するのが、
Sangoだ。
「決めたから」が大切な時ももちろんあるけれど、
「決めたけど」が許される余白も、
人が共に活き、成長するためには必要。
そして本音が、
喜びの波動が広がるし、
主体性が生まれてくる。
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「流されること。」
「受け身になってしまうこと。」
これは発達障がいの僕たちにとって、
とても大きな課題。
長いものに巻かれる。
強い人についていく。
それが標準装備なのだ。
(ただ後ろをついて行っているだけなのに、
自分も強くなった気がしてしまうから更に厄介笑)
自分のアイデアが"ない"。
自分から発信でき"ない"。
自分の意見は正しく"ない"。
「ない」という気持ち(思い込み)が、
自分を卑下させ、どんどん自分をなくしていく。
そして自分をギューっと抑圧し、
「恐れ」にがんじがらめ。
ただ言われた通りに動くだけになっていく。
自分がなくなっていく。
そんな自分だった。
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自分を取り戻すためには、
とにかく声に出すこと。
一人だけで引きこもるのではなく、
みんなの前で勇気を出して、
本当の気持ちを出すこと。
それは恥かもしれない。
見せたくない自分の姿だったかもしれない。
でも、
恥をかき、ダメだと思っていた自分を晒せたことは、
それ自体が自己肯定。
自分を取り戻していく歩み。
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昨日はTさんの本音をきっかけとして、
Sangoにとって大切な話し合いができた。
相手は自分の鑑。
目の前の人が起こしたきっかけは、
自分にとっても必要な課題を見せてくれる。
だからどんな事件も、
実は個人的なものじゃないし、
バカになんてできない。
僕も夜10時を超えたあたりで、
自分のモヤモヤと正直を伝える場面があった。
納得できない気持ちを伝えた。
周りの意見が一致している中で、
自分が違う意見を伝えることは、
とてもドキドキしてしまう。
自分の伝えた意見に、
反論を伝えられた時なんて、
「言わなきゃよかったー!!」って、
その場から逃げ出したい気持ちになる。
でも「納得できない」気持ちと、
「自分はこうしたい」を正直に伝えることができて、
その上で相手の意見にしっかり耳を傾けたら、
やっとその意見の意味が理解できた。腑に落ちた。
受け身ではなく主体的に、
その意見で動くことを決めれた。
本音があって、
自分がある。
本音を伝えあえることが許されている。
そんな場をこれからも育んでいこう。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!