こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
月に1度の全体ミーティング。
その1日目。
全員集まって行う全体ミーティングにおいて、
ありがたいことは、
自分の行動や癖に気づくとてもいい機会になるということ。
ミーティング時の発言や言動から、
それぞれの思考が見えてくる。
ほんの些細な発言をきっかけにして、
自分自身の課題に気づかせてもらえるのです。
今日も、
僕がちょっとしたきっかけで、
引っかかったことを質問したところから、
僕の課題が浮き彫りになりました。
それは、
"指示することへの罪悪感と諦め"。
僕は執行理事という立場上、
全体を見る役割を担っています。
オーケストラでいうと、
指揮者の位置。
(ドヤ顔で言っておりますが、先輩が伝えてくれた例えをパクってます笑)
にもかかわらず、
全体を見る余裕が僕にはなかなかありません。
なぜか??
その理由の1つが、
自分が演奏に加わり過ぎてしまっているから。
周りの人に"指示する"ということについて、
遠慮があるために、
自分がトロンボーンを吹いたり、太鼓叩いたり、
してしまっていることが多々あるのです。
そこには、
「自分が演奏に入れていないことをダメにする気持ち」や、
「みんなそれぞれの演奏(やること)に忙しいから」という諦めがありました。
書いてたら笑えてきます。
みんなそれぞれの演奏に忙しいからという理由で、
自分が演奏し始めるなんて、指揮者だったらありえない笑
「指揮をする人が必要なんだ。」
という自覚と許可が足りていませんでした。
そして今日もう1つ気づけたことは、
「指示されないとわからない」という、
それぞれの気質があるということ。
僕は勝手に、
"みんな忙しいのだ"と思い込んでおりましたが、
実は、
「指示がないからどうしていいかわからず、
目の前の自分がやれることをとりあえずやっている。」
ということもあるのだと理解することができました。
僕が指揮することを遠慮するばかりに、
活かされなくなる奏者もいる。
たまたま先日、
自分が受け持っているある研修のサポート役を、
Sさんにお願いしたのですが、
その件について、
「いままで何か手伝いたいけど、何を手伝っていいかわからなかった。
だからお願いしてもらえて嬉しかった。」
と今日伝えてもらいました。
そうなんだ!と目からウロコ。
「仕事が増えたら嫌がられる」
って勝手に被害者意識になっていました笑
もっと指揮していいんだと、
気づくことができた本日。
自分が全体を見渡し、指揮ができるように、
いかに人を信頼して、演奏を委ねていくか。
ここからまた再チャレンジ。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!
(ドヤ顔で演奏し始める指揮者がこちらです💁)