こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
今日の夜、
「霊的な話を伝えたいから、
同席してほしい」
と頼まれた。
滞在者のお二人に対して、
受け取った話をお伝えしたいから、
お二人を引き受けている僕にも、
その場にいて欲しいとのことだった。
人に何かを伝えるということは、
伝える責任、受け取る責任、
いろいろな責任がある。
それらを俯瞰して、色々と思案した上で、
場に同席すると決めた。
「ただいるだけ。」
を決めたわけではなく、
「その場の責任は引き受ける。」
と決めた自分がいた。
最近は不思議なもので、
「なんとでもなる」
という気持ちが生まれることが多い。
「なんとでもなるし、なんとでもできる。
だから任せて。」
と伝えることができることが増えた。
ドキドキすることもビビることも、
もちろんある。
けれど、
場を信頼している自分に気づく。
それは、
自分だけでなんとかしようという感覚とは違う。
集まった人みんなの全体性があった、
その中に僕がいる。
その全てに身を委ねる感覚。
話がはじまってみると、
周りの人が受け取った話を聴くだけのつもりが、
いつのまにか自分が霊的に受け取ったことも伝えていた。
いつもは受け取れる人任せにしていた霊的なことが、
今日は自然と自分の口から出ていた。
自分が感じてることも、
感じてる意味があるから、受け取っていること。
そう思えたら、
伝えることができた。
伝える時に、
曖昧な言葉を使うことを手放した。
「だと思う。」とか、
「そんな気がする。」とか、
自分が受け取ったことを自分でぼやかしてしまう言葉を、使うことをやめた。
自分が受け取ったことは自分にとっての真実だから。
「そう受け取った。」
「そうだった。」
と自分の感覚を肯定する言葉を伝えることができた。
結果として、
それぞれがそれぞれの感覚を伝え合い、響かせ合い、調和と気づきに至ることができた。
ここにいると決めたから、
受け取ると決めたから、
自分も受け取ることができた嬉しい今日。
やっぱりなんとかなるし、
なんとでもなるね。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!
(絶景かな)