こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
最近、
「神との対話」を少しずつ読み進めております。
10年ほど前に読んだ本ではありますが、
改めてその一節一節を読むと、
今だからこそ受け取れることがたくさんある。
本日はこのフレーズ。
父なる神とは「知る」ことだ。すべての理解の親であり、すべての体験はそこから生まれる。
息子である神は、「体験」だ。父が自らについて知っていることを体現し、行動化する。体験しなければ、何者かで「在る」ことはできない。
聖霊としての神は「在る」ことだ。息子が体験したすべてを超越して、ただ存在する。単純にこの上なくみごとに「在る」ということは、知ったこと、体験したことの記憶を通じてのみ可能になる。単純に「在る」ということは至福である。神の状態、自らを知り、体験したあとの状態だ。これこそ神がはじめから求めていたものだ。
本や人からの話を通じて、
理解に至ることはできる。
でも、
頭でわかっていることと、
腑に落ちることは全然違う。
本を読んでいると、
わかった気になったことが多くて、
「もうわかっているから、
あらためて経験する必要はない。」
と悟ったふうになってしまうことがある。
でもそれは悟った風でしかなくて、
蓋を開けてみれば、
経験することが怖いのだ。
でも上記の一節は、
僕たちに希望を与えてくれる。
始まりは、
分かることから。
その次の段階に経験がある。
経験することでこそ、
さらに進化できる。
あんだけ悟ったつもりだったのに、
いろんな出来事に落ち込んだり、怖がったり、
激情したりすると、
自分が全然わかってなかった気がして、
凹んでしまうこともある。
でも、
その感情的な反応こそが、
進化するために必要なことであり、
僕たちの魂が求めていたこと。
魂は知る必要のあることはすべて知っている。隠されていることは何もない。だが、知っているだけでは、充分でない。魂は体験したがっている。
落ち込んだり、怒ったり、
感情的に揺れ動くことこそ、
魂が求めている体験。
だから、
紆余曲折あっても全て順調なのです🥰
日々のジェットコースターみたいな感情を味わえば味わうほどに、成長の階段を登れている。
そう思うと、
涼しい顔でカッコよさげに生きているより、
泣いたり笑ったりぐちゃぐちゃになったりしながら、ポンコツを受け入れて生きている今が、
とても嬉しい。
今日もポンコツは、
大工仕事を楽しみました。
天井を張るという経験。
さまざまな経験を自分にさせてあげれて、
よかよか。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!