僕たちは魂を持った肉体か、
それとも肉体を持った魂か。
すでに神であるはずが、
神を理解しようとしているという遠回り。
赤色であることは明らかなのに
なぜ赤色なのかを考えようとしてしまう。
本当は答えがわかっているのに、
証明できないと気が済まないのが、
人という気質の性。
理解という快感を求める。
それが科学という手法でもある。
魂に生きるはずが、
魂を理解しようとしていた。
言葉の奥にあるエネルギーを、
感じようとせず、
言葉という答えばかり探していた。
結果として、
魂を見ず、言葉しか見ていない。
これもまた、
言葉に依拠してしまう、
人間の性(=気質)。
僕たちが本来理解しようとしているのは、
魂にくっついている様々な記憶(=気質)。
記憶(=気質)を理解し、手放して、
魂に還る。そうであることを思い出す。
それが本来の僕らの姿なのに、
人間として「神とは何か?」
を一生懸命理解しようとしていた。
これもまた、
人間という記憶の性。
言葉を重ねれば重ねるほど、
それはただの言葉となり、
遠く離れる感じがする。
体現ではなく、
頭での理解にしかならなくなる。
なんと難しいことか笑
でも今日は、言葉を放つことで、
その奥にある魂に気づけた1日。
感謝を込めて。
まるっ!