あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

ありがとう、おじいちゃん。

こんばんは。

発達障がい人の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える

暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

昨日、

母方の祖父が肉体を離れ、

光に還った。

 

LINEにて父からの突然の連絡にびっくりしたけれど、

祖父の魂を受け取ってもらって、

ピンピンコロリで逝ったのだと聞いて、

「ならばよかった。」と安心している僕がいた。

 

悲しい気持ちは一瞬で終わり、

お疲れさまと感謝の気持ちが湧いて出てきた。

 

一夜明けた今日。

びっくりするほど気持ちがスッキリしている。

 

もっと悲しいものだと思っていたけれど、

なぜか清々しい気持ち。

 

多分、やりきったからだと思う。

 

 

どんな出会いにも、

必ず意味があり学びがある。

 

その意味で、

祖父は僕の人生に最も影響を与えた人の一人。

 

僕が20歳のときに光に還った母が、

影響力ダントツ1位だと思っていたけれど、

 

母との経験は20歳で終わり、

祖父との経験は30歳を超えるまで続いていたから、

 

祖父の方が結果的には、

僕に影響を与えているかもしれない笑

 

 

僕は初孫で、

祖父からとっても可愛がられた。

 

僕もとてもおじいちゃんっ子だった。

 

祖父の家は実家から車で30分くらいの距離だったけど、

月に2回は祖父の家に遊びに行っていた。

 

教師一筋40年以上の祖父だから、

僕に対してもいろいろなことを教えてくれて。

 

小学生の頃から定期的に手紙で、

ギリシャ神話の話や、人の体の話など、

いろんな話を教えてくれた。

 

ちゃんと知っておく必要があるからと、

性の話まで手紙で教えてくれた時は、

なんだかとても恥ずかしかったことを覚えている。

 

その教育熱心さが幼い頃はとても嬉しかったけど、

歳を重ねるにつれてウザく感じ始めたのもまた事実(笑

 

それでも社会人になるまでは、

祖父のことはシンプルに大好きだった。

 

でも社会人になって1年半、

僕が新卒で入った会社を退職してから、

祖父との関係性は少しずつ変わり始める。

 

会社を飛び出すように辞めた僕。

それでも祖父は、

「ヒロだからきっと、将来のことに何か考えがあるのだろう。」

と信じて応援してくれた。

 

しかし僕にはなんの考えもなかった笑

 

考えもなきまま、導かれるように沖縄へ行き、

やりたいかどうかもよくわからない農業を学び始める。

 

そのあたりから、

祖父の気持ちが信頼から心配へ変化していった。

 

大人になっても時折手紙はきたが、

手紙では応援するメッセージよりも、

心配するメッセージが増えていった。

 

僕のやることを全部ただただ応援してくれていた

大好きな祖父が、

口うるさいジジイにどんどん見えていった。

 

「僕のことを認めてもらえていない。」

そんなショックな気持ちに苦しみ、

なんとか認めてもらおうと、

手紙にした時も、会いに言った時も、会いにきてくれた時も、

あれやこれや自分の近況を"できてる風"に表現し続けた。

 

それでも祖父の心配は止まなかった。

 

今ならば理解できる。

あの頃の僕を「心配するな」なんて無理!!笑

 

ブッレブレで自分のことなんて、

何もわかってなかった。

 

自分が何を言っていて、

自分の言動がどれだけ相手を不安にさせてるかなんて、

知る由もなかった。

 

そんな無知な僕だった。

 

 

そしてだからこそわかる。

心配し続けてくれていたということは、

それだけ愛してくれていたということ。

 

祖父の愛は基本的に結構重め。

 

心配という表現を通じて、

ずっと応援してくれていたのだ。

 

 

祖父への反発する気持ちが変化していったのは、

1年前、東京へ祖父母に会いに行こうとした時だった。

 

naturalhspman.hatenadiary.jp

 

旅費を全く持ち合わせていなかった僕は、

繋がるみなさまに旅費の援助をクラファン的にお願いし、

 

集まったお金を元に、

コロナの合間を縫って祖父母に会いにいった。

 

そして結果として、

僕が行く2日前に祖父母が入所する老人ホームでコロナが発生し、

祖父母に会うことができなかった!!笑

 

でもこの経験を通じて、

祖父母のことが大好きなんだということに、

改めて気づくことができた。

 

祖父母への感謝に気づけたとても大切な旅になった。

応援してくれた皆様には心から感謝なのです。

 

 

そして結果的に、

会いたいと思っていた祖父は、

肉体として会えないままに、光に還った。

 

もはや会う必要がなかったのだと、

僕は思う。

 

祖父が僕を愛してくれていることを、

受け取ることができたから。

 

形は変化していったとしても、

ずっとずっとそこに愛があり、

応援し続けてくれたことを、

腑に落とすことができたから。

 

長く心をつきまとっていた、

「認められたい」

という感情は今はもうない。

 

認められるまでもない。

僕は今の生き方を僕が認めているから。

 

心配されたとしても笑って、

「それでもこれが僕のやりたいことだから。」

と言える自信が今はある。

 

祖父の感情的な経験があったからこそ、

僕はこれだけ強く成長することができた。

 

 

祖父の教師的な関わり方を、

ウザく思い、長らく反発してきた僕。

 

でも今振り返ってみると、

やっぱり祖父は僕にとって、

人生の教師だった。

 

ここまで導いてくれたこと、

感謝しかないよ。

 

ありがとう、おじいちゃん。

これからも天から僕を応援してね。

 

心から感謝を込めて。

まるっ。

 

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(祖父が光に還った日。1日雨だったけど、朝はとても素敵な朝日だったよ。)

 

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