こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
今日は、
スタッフの Mさんのご厚意で、
温泉とご飯を食べに本部まで行ってきました。
本部にある温泉は、
サウナのある風呂場と、ない風呂場の2種類があり、
男湯と女湯が交替しているのです。
こればで10回以上、この温泉に来ましたが、
1度もサウナのある風呂場に当たったことはありませんでした。
が、しかし!!
今日はついに、
サウナある風呂場だったよ、母さん!!
店員さんに聴いてみたところ、
サウナある風呂場とない風呂場は、
日替わりで交代しているとのこと。
日替わりにも関わらず、
10回以上もサウナに当たったことなかったって、
むしろすごい確率!!!笑
そして今日の、
サウナある側のお風呂は、
もうマジで最高でした。
至福ですよ、マジで。
最高の時間を過ごせました。
そしてその後ご飯屋さんへ。
そこで図らずも、
とても面白い気づきに至ったのです。
僕は魂の記憶の中に、
天皇の血筋の記憶が非常に多くあるのです。
最近福島に行った時も、
ある天皇の前世の記憶を、
浄化してきました。
そんな僕ですが、
今日のご飯屋さんでは、
中高時代の話になりまして。
他の方の中高時代の経験を聴いていると、
自分通っていた中高が、
非常に伝統を重んじる保守的な学校であることに気づかされました。
海軍の流れを汲んでいた男子校で、
鍛錬や格式を重んじる傾向が結構ありました。
たとえば、2時限目が終わると、
全校生徒が上半身裸でグラウンドに出て、
20分間ランニングをする習慣があったり、
便所掃除の際には、
上半身裸の短パン一丁で、
たわしを手に掃除するのが伝統であったり。
なにかと上半身裸です。
そういった鍛錬(?)的な文化が、
色濃く残り続けている学校だったのです。
一方、他の方の通っていた中高が、
とても自由な校風だったのに比較して、
めちゃくちゃ保守的、格式的!
そんな話をしていたら、
Sさんが僕に面白いことを伝えてくれました。
「天皇の血筋の記憶があるからこそ、
そういう格式や伝統を重んじるものを、
選んでいたんだろうね。」
なるほど!!
となりました。
振り返ってみると、
僕が中学〜大学まで選んだ部活も弓道で。
まさに伝統と格式の世界。
こういう選択も、
ただ今世だけの意識の中での選択ではなく、
もっと壮大な歴史と、なんども繰り返される記憶を経て、
結果として選ばされたもの。
自分が型にはまりたがることとか、
保守的であることとかは、
いいとか悪いとかそういう次元の話ではなく、
そうであることが必然だったのだと、
受け取れた今日です。
ふとした何気ない会話の中に、
気づきをいただけた今日でした。
感謝を込めて。
まるっ!!
(美味しゅうございました!感謝)