こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
今朝部屋から出ると、
周りが慌ただしいではありませんか。
何事かとSangoのグループラインを見てみたら、
「ゴジラ-1.0を観に行きましょう」という話が出ていました。
僕は一昨日観に行きましたが、
これはやっぱりもう一度観に行きたいやつや!!!!
と思い、僕もいくことに。
結果、
お山にいるスタッフほぼ総出で、
沖縄中部のライカムの映画館へGO!!!
2度目も大号泣でした。
勇気をもって、絶望を超えていく姿に、
今回も感動。
「自分の戦争が終わらない。」
この言葉が、やはり心に残りまして。
たとえ戦争が終わったとしても、
起こした出来事が、
過ぎ去った過去になったとしても、
本人の中に、
悔いが残るのであれば、
その人の戦争は終わらない。
戦争と比較してしまうことは、
とてもチープに感じてしまいますが、
今この世界を生きている僕たちの日常にとってもそうで。
僕たちは皆、
自分との戦いに苦しみ、もがいているのだと、
受け取りました。
夢に出るほどに、
幸せを選べないほどに、
泣き叫ぶほどに、
自分の弱さや絶望に、
もがき苦しんでいる。
でも、
他者とのふれあいを通じて、
自分の弱さを分かち合い、
自分の愛に気づき、希望を持って初めて、
自分を超えようとする、
勇気の一歩を踏み出せる。
この映画は、
ゴジラに象徴された圧倒的な恐れを、
乗り越えていく勇気の教科書だと、
受け取りました。
逃げてしまった自分も、
逃げてしまったことにもがき苦しむ自分も、
それでもなお生きることにしがみつく自分も、
自分を越えようとする自分も、
抱きしめたくなりました。
「戦争を知らないのは幸せなことなんだ。」
「後は任せた。」
今を生きる僕たちに、
先人たちが託したメッセージ。
「誰かが貧乏くじを引かなきゃいけない。」
「できることはとにかくなんでもする。」
と必死で繋いでくれた場所に、
僕たちは今立っている。
感謝です。
日本人という民族は、
圧倒的な脅威に対して、
一丸となって挑んできた。
東日本大震災の時もそうでした。
非常時でも、配給などについて、
1列に並んで待っている姿に、
海外の方は驚いたそうです。
巷では、
日本は経済成長していない、個人の年収が低い、
など、
日本人個々人が生きる上での豊かさについて、
問題視されている部分が多いように感じますが、
じつは、
個としての豊かさよりも、
全体への奉仕に重きがある民族性。
決していい言葉ではないかもしれないけれど、
一億総玉砕と言われるほどに、
1つにまとまることのできる民族。
自我がない、自己主張できない、
とかよく言われるけれど、
裏を返せば、
個の意識よりも、
全体の一部であるという意識が在るということ。
鳥たちが、
集団で1つの個となるように。
超意識を通じて、1つになれる。
それって、
本当にすごいことなんじゃないだろうか。
そんな日本人だからこそ描けた、
圧倒的な絶望(=ゴジラ)に、
1つとなって挑む姿。
日本人に生まれてよかった。
今日の機会を与えていただいたことに、
感謝です。
まるっ!!
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