あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

"許し"についての誤解

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

許し。

自分を解放する上で必要不可欠なこと。

 

どんな自分も許してあげること。

受け入れてあげること。

 

それがあってこそ、

自分を生きていけるというもの。

 

しかし、往往にして人は、

"許し"の意味を勘違いしてしまう。

 

許している風だけど、

実は許せていないことってたくさんある。

 

 

「あの時の自分のことはもう許しています。」

このように相手に伝えているうちは、

許せていないのです。

 

あえて"許し"を言葉にして表現している時点で、

"あの時の自分"への罪悪感が残っているのだ。

 

「あの時の自分はダメだった。

そんなダメな自分でも許そうとしています。。」

というニュアンス。

 

すでに過去の自分を”ダメ”にしているから、

ほんとうの意味で、

受け入れられてはいないのです。

 

 

このかりそめの許しは、

親子関係からきている。

 

子供時代、

何かをして、親の逆鱗に触れ

怒られたとき。

 

「ごめんなさい。」「もうしません。」

と伝えることで、

親に許してもらおうとする。

 

このとき、

「子どもはこんな”いけないこと”、もうしないから許してください。」

と親に表明しているのだ。

 

自分がやったことは、

「いけないこと」で、

それをした自分は「ダメな子」だった。

 

改心するので、

許してください。

 

「親に怒られることをしたときに

親から許されることを、子どもは"許し"だと認識する」

 

だからこそ許しには、

"ダメな自分を改心させる"というニュアンスが、

無意識のうちに含まれてしまうのだ。

 

 

本当の意味での許しは、

"許そう"とすること、”改心しようとすること”ではない。

 

ただありのままを認めること。

 

かっこ悪い自分も、情けないって思う自分も、

自分の一部であることを受け入れる。

 

そんな"許し"に到れたときは、

「許してます。」なんて言わない。

 

「こういうところあるんだよね」って、

笑いながら、相手に伝えている。

 

それが在ること・在ったことを

いいとか悪いではなく、

許すとか許さないではなく、

 

ただ事実として、

表現できている。

 

それが本当の意味での

"許し"。

 

 

だから、

許そうとしなくていいし、

許さなきゃ"ダメ"でもない。

 

自分を伝え続けていく先に、

いつの間にか許しが起こっているのです。

 

 

どんな自分も分かち合っていきまっしょい!

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!