こんばんは。
発達障がい人の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える
暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
先日、
『線は、僕を描く』 という映画を観てきました。
とても素晴らしく、
感動的な映画でした。
「悪くはない。
でもこれはあなたの線ではない。」
自分にとっては、
とてもよくあること。
Sangoでの活動においても、
自分の伝える言葉や日々の行動を、
よくよく観察してみると、
誰かの伝えた言葉をそのままコピーしていたり、
言いつけを守っているだけだったりすることが、
本当によくある。
「その行動が自分にとって喜びなのかどうか?」
ではなく、
「あの人が言ったことは正しいはず」とか、
「あの時決まったことだから」とか。
誰かの言葉やルール、常識など、
自分以外の"何か"に依拠し、
ただ従うだけの自分になってしまう。
そんな気質がとても強い僕なのです。
それでも最近はたまに、
"自分"のアイデアなるものが、
フワッと湧き出ることがあります。
本当に"フワッ"と出てくる感じ。
頭で考えて、考えて、
論理的に組み立てて出た結論ではなく、
どこから降って湧いてきたのか、
急に湧き出てくる言葉たち。
それを場に分かち合ってみたら、
結果として"全体"の意見につながっている。
全体の空気を読んでの発言ではなく、
自分の言葉が全体とつながっていた、
という感覚。
自分をつきつめていくと、
結果として宇宙につながっているのだと、
理解する瞬間があるのです。
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無意識のように選んでしまう"誰かの真似事"。
それを超えていくために必要なのは、
"自分"と向き合うこと。
ただ目の前の"やること"をどれだけこなしても、
自分が変わらなければ、
世界の景色は変わらない。
本質は
外の世界ではなく、
自分の内側にある。
主人公の霜介がそうしたように、
自分と向き合っていくことで、
世界は変わっていく。
「なろうとするものではなく、
変わっていくもの。」
自分を"誰かの決めた理想"に
当てはめようとする必要はない。
ただ自分の線を描く。
それが結果的に、
宇宙とひとつになっていく。
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命をかける人の姿には、
いつも心打たれます。
無我夢中、ひたむき、がむしゃら。
1つのことに命をかける姿に、
とても憧れがあるのです。
僕もこの活動に
命をかけているはずなのに。
あの人たちと自分は"違う"。
自分はまだ"足りていない"。
そう受け取っている僕も、
いるようです。
これもまた"足りない"を
見てしまう病気だなぁ笑
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書くという行為は、
僕の"今"を表してくれている。
だからこそ、
ブログも書き続けている。
最近の僕は、
なかなか言葉が見つかりません。
自分の線を迷っているご様子です。
それもまたよし。
たくさんの"書く"を通じて、
自分を見つめてまいります。
明日は友人家族と、
山を歩いてきます。
何を感じ、描くのか。
明日も楽しみ。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!