こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える、
そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、
薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。
目の前の人は、
全て自分の鏡。
「自分」というものに気づくきっかけを与えてくれる。
僕にとっては、
いま暮らしを共にしている中学1年生が、
まさにそんな存在。
彼はとても素直!
やりたいことには全力で、
やりたくないことは、
「やりたくない!」を表現する。
そんな彼に、
イライラしてしまう自分がいることに気づいた。
「もっとやってほしい。」
「ここにいるからには、
あれもこれもしてもらわないと困る。」
「修行するって決めてきたんだったらやってよ。」
そう思い、
彼を頑張らそうとする自分がいた。
でもそんな自分の奥にある気持ちは、
彼への羨ましさ。
やりたくないことをやりたくないって言える。
学校に行かないって選択をできている。
自分のしたいことを思う存分している。
彼が自由気ままに振舞っているように
"見えてしまう"僕がいたのだ。
それはあくまでも、
僕のフィルターで。
彼は彼なりに、
今に至るまでに傷ついたことが、
必ずある。
もがき、悩んでいる彼もいる。
そんな中で踏み出した一歩が、
この畑で暮らすこと。
普段の引きこもり生活からは、
信じられないくらい、
彼は自分のことを自分でしているし、
外での作業も頑張っている。
(自分の洗濯やトイレ掃除は毎日欠かさずやっている!!)
にも関わらず、
そんな彼のありのままを見れないのは、
これまた僕の傷があったから。
それは、
「頑張ってきた」という傷。
小学生時代から中学・高校・大学・社会人に至るまで、
自分を「頑張らせてきた」。
学校という場所に自分を適応させようと、
周りの人間に自分をなじませようと、
無意識に頑張り続けてきた。
学校をサボるなんてありえなかったし、
好きなことだけをしていいなんて、
思いつきもしなかった。
学校や社会という世界が正解で、
そこに適応することだけが、
自分の生きる道だと信じて疑わなかった。
だからこその、
"過剰適応"。
ずーっと無理をさせてきた自分がいたから、
素直に「できない」「やりたくない」を言えている彼が、
羨ましかったのだ!!
そんな嫉妬の気持ちから、
自分の頑張りを相手に押し付け、
相手を頑張らせようとしてしまう。
気づく必要があるのは、
その逆で。
ほんとのところは、
僕もサボりたい!ということ。
僕もあの時、
「やりたくない!」「できない!」
って素直に言いたかったのだ。
やりたいことだけやっていたかったのだ。
そして今の僕は、
やりたいことをやっていい環境を選べている。
「やりたいことをやっていい」を、
目の前の彼が見せてくれている。
自由への最高のチャンスが、
目の前にあったのだ!
そのことに気づけたら、
心がとても軽くなりました。
今日、中1の彼は、
朝から「眠い」「しんどい」と僕に訴えてくれた。
それもそのはず。
明日は彼の誕生日。
生まれる怖さを思い出しているのだ。
気づきがあったから、
そんな彼の訴えを、
素直に受け取ることができた。
彼の自由を許し、
僕も自分の自由を許せた。
僕にとっての彼は、
僕を教えてくれるギフト。
心からありがとう。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!