こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、
安心の中で喜びを分かち合える、
そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。
その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、
薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。
「責任」について考える最近。
「最後はきっとあの人がなんとかしてくれる。」
という無責任が、
僕の中にあったことに気づいた最近。
自分で自分に腹をくくっていないということ。
自分が腹をくくっていないもんだから、
困った状況や人が現れると、
責任を取ってくれる人に投げてしまう。
結果として、
責任を取ってくれる人がなんとか解決してくれて、
「できた!」という喜びや、
「あの人のおかげで」という称賛ポイントは、
責任を取った人に入るわけです。
すると、
「あの人がいないとダメだ」になったり、
「あの人に会いたい」というケースが増えてきて、
責任を取らなかった僕は、
どんどん脇役になっていく。
自分に勇気がなかった結果、
とっても自分に寂しいことをさせていたわけです。
わたくし、とても反省いたしました。
しかし、
責任を取らない人が出て来ると、
困ったことはそれだけじゃございません。
責任を取る人の負担もめっちゃ大きくなるわけです。
幸いなことに僕個人としても、
自分が責任を取る側になるケースも最近経験したのですが、
いやマジでほんとに負担感が半端ない!!
僕がでしゃばって、背負い込んで、
グイグイ中に入りすぎてしまったがために、
本来責任を取ってくれるはずの人が、
責任を取ってくれない人になってしまって、
僕がめっちゃいろんなことを気にし、
背負わなくちゃいけない状況になってしまったのです。
(そのぶん僕にポイント入ってたら嬉しいけど、
ちゃんとポイント入ってた気がしない笑 実力不足だ!!笑)
1人の人間が責任を取りすぎてしまうことで
周りの人間の創造性を奪ってしまう結果になってしまう、
ということも同じタイミングで経験したのです。
そして、
自分が責任を取らなきゃいけない立場を経験したことで、
普段自分が責任を取らないことが、
責任を取る人にどれだけ負担を与えていたのかも痛感しました。
誰かに任せてしまうこと、
委ねてしまうことは、
創造性の放棄にもつながる。
このことを肝に命じて、
またここから。
自分の「したい」を具現化する時ですね。
やっていきまっしょい!!
また教えてもらえたら、
とっても嬉しいです。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!