こんばんは。
エンパス男子の大北です。
沖縄にあるコミュニティSangoの住人で、
“祈りと喜びで育つ畑”Sangoファーム中城の園主をしております。
どちらかというと、
割と理屈っぽいです。
理屈が通っていないと、
納得しないところがあります。
Sangoの人たちは、
必ずしも論理的な人だけではなく、
感覚的な人がとても多いので、
たまに戸惑います。
だから相手に、
「それってどういう理由なの?」
と聴きたくなります。
相手から帰ってくる答えが、
筋が通っていないと、なんだかモヤモヤします。
納得できなかったりします。
でも、
感覚的な人たちからすると、
そこに理由はあまりないのです。
「黄色が好き」であることに明確な論理がないように、
「なんとなくこれがいい気がする。」ということで、
物事を選択するのです。
そんな人たちにとっては、
理由はあってないようなものなのです。
でも、
論理を大切にする人たちは、
つい理由を求めます。
理屈がしっかりしていないと、
納得できないし、受け入れられないわけです。
理屈が「正解」だと思いがちなのです。
たしかに、
理由を説明することや、
筋を通すことが必要な場面もあるでしょう。
でも必ずしも、
それが全てではないのです。
アニメを見ていると、特にそれを感じます。
最初は色々と理屈を持って説明されていたストーリーが、
最後の方は全部無視!!
理屈を度返ししてエンディングに向かっていく笑
そんなことがよくあります。
そんなとき、
理屈が通っていないと、モヤモヤするのが僕です笑
でも、上記のアニメを見ていた時、
「奇跡の一つくらい起こしなさいよ!!」
というセリフを聞いて、ハッとしました。
「奇跡」に理屈はないのです。
理屈では考えられないことが起こるから、
「奇跡」なのです。
物事は必ずしも、
論理だけで動いているわけではないのです。
むしろ物事を形作るのは、
論理ではなく、想いの力。
ほとばしる情熱や愛なのです。
理屈だけにとらわれていると、
忘れがちなこと。
想いが論理を超えた結果が、
奇跡なのだということを、
胸に刻もう。
そんなことに気づいた本日でございました。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!