この世界は
本当は真っ白なキャンバスで、
自由に描き、
喜びを謳歌していいはずだった。
それこそ赤ん坊の頃は、
目に映る全てが新鮮で、
なにをやっても楽しくて、
自由に無邪気に、
ちぎっては投げ、
ちぎっては投げ、
五感全てを使って、
全身でこの世界を体感していた。
世界は喜びそのものだった。
でも、
いつの頃からか、
自由を見失う。
この世界に、
「正しさ」というものが、
求められるようになってくる。
誰かに叱られないように、
みんなから劣らないように、
楽しさよりも、
正しさを求める自分がいた。
自由に描いていいはずの世界を忘れ、
どうすれば正しくあれるかを探し、
自ら制約やルールを求めた。
自ら縛らないといけないくらい、
僕は、
世界の「正しさ」に沿えなかったのだ。
最近は境界性パーソナリティ障害なんかも、
自分の中にあることがわかってきた。
そんな僕は、
周りの人といつも違って、
「正しさ」に当てはまらず、
なかなかに「落ちこぼれ」だった。
だから必死で、
「正しさ」を求め続けていたのだ。
でも、
沖縄に来て、
やっと気づいた。
僕は本当は、
もっとこの世界を楽しみたい。
障害をもった自分のまま、
自由に世界を表現したい。
赤ん坊の頃のように、
無邪気に、あるがままの自分で、
自由に世界に色を塗りたいのだ!
「蜜蜂と遠雷」という映画を見て、
そんな自分を再確認できた。
「世界が音を鳴らすのではない。
あなたがこの世界に音を鳴らすのよ。」
そんな言葉が
深く胸に突き刺さった。
世界の正しさにはめられることを、
世界に定義されることを、
待つ必要なんてない。
世界というキャンバスに、
自分の心の底からの喜びを、
思いっきり描けばいいのだ。
「自分と世界に、
自由に喜びを表現すること。」
それをこの一年のテーマとします。
今日の気づきに感謝です。
まるっ!!