あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

自分の枠を超えてゆく

こんばんは。

アスペルガーHSP男子の大北です。

 

文章を書く時、

アレヤコレヤと考えてしまう癖があります。

 

どうやったら伝わるだろうか?

どうしたら読んでもらえるだろうか?

 

そんなことを考え、

論理的に文章を構成してしまうのです。

 

するといつの間にか、

お膳立てばかり長くなってしまい、

書きたかった熱量、想いが薄れてしまう。

 

あれ?自分何してるんだっけ??

 

と書き終えた時に変な気持ちになることが、

たまにあるのです。

 

 

その度に自分の恐れを思い知らされます。

 

読んでもらいたい!

よく思われたい!!

 

アァーーーー!!!!

褒められたいんやーーーー!!!!

 

と無意識に思っている自分がいることに気付かされるのです。

(本日はいささかテンションがおかしいです。)

 

恐れは、

人の足を踏みとどまらせます。

 

頭で考え始めます。

 

そして思考は、

被害者意識に囚われて、

 

「文句言われんためには、褒められるためには、

こんな風にキチッと書かなあかんのやで。」

 

と僕に囁いてくるのです。

 

そして僕は、

自分の想いに蓋をしていってしまうのです。

 

 

そんな僕は、

また一方で誰かの言葉すらも、

自分の思考のフィルターでキャッチしようとするわけです。

 

だから、

表現や論理がとっても気になります。

 

ちょっとした言い間違いや、

論理的に筋が合わないことがあると、

 引っかかって動けなくなるのです。

 

これもまた、

「相手の言うことは、

ちゃんと理解せなあかんのやで〜」

 という自分の思考が邪魔をするわけです。

 

そして僕は、

相手の表現の文字面ばかりを受け取ってしまい、

 

その奥にある

言葉にならない波動・想いを

受け取り損ねてしまうわけです。

 

 

 

最近、

『遺伝子易経』という本を読んでおります。

 

www.kinokuniya.co.jp

 

自らの遺伝子に刻まれた、

64個の闇や才能が記された本です。

 

僕の遺伝子に強く刻まれている、

64番目の「想像」という才を読んだ時に、

ビビッときたのです。

 

「思考の枠を外れたところに、

想像が広がっていく。」

 

誰かの真似っこでもなく、

過去の自分の延長でもなく、

 

自分の思考を超えたところにある言葉。

 

言葉にならない衝動。

 

それが自分の中に、

確かにあるのを感じます。

 

そして、

相手の中にも必ずあるのです。

 

自分の枠を超えた言葉・想いを、

思考というフィルターなしで表現すること。受け取ること。

 

それが生命を感じることなのです。

 

生命を感じるためには、

やはり自分の恐れと向き合う必要がありますね。

 

恐れもまた、

自分の生命=エネルギーの一部。

 

恐れに囚われ、思考に走るのではなく、

 

恐れと対等に向き合い、

それを感じ切る。

 

そして、恐れを超えた先に、

 

宇宙の流れを信頼すれば、

絶対大丈夫。

という自己確信が生まれ、

 

悠然と命の喜びを感じることができるようになる。

 

そんなことを感じる今日です。

 

なんだかモヤモヤするこの気持ちを

盗んだバイクで走り出すように書いた今日は、

秋分の日。

 

節目の日。

 

過去の自分の枠を超えて、

新しい自分になる切り替えの日ですね。

 

皆様が、

喜びに向かう良きスタートを切れることを祈っております。

 

今日も気づきに感謝です。

 

まるっ!!

 

f:id:naturalhspman:20190923200717j:plain