おはようございます。
先日の北海道出張にて、
ある食堂で夕食を食べていた時、
食事の皿の側に携帯を置いていた僕に、
一緒に行動していた「沖縄のおばぁ・もこさん」が言いました。
「それだと食べづらいでしょ。
そんなこと一つ一つが、
自分に対して丁寧にすることなのよ。」
僕は、
食べづらく感じていた自分に、
全く無意識でした。
でもおばぁには、
僕の行動の不自然さが見えていたのでしょう。
そんな所作一つ一つが、
僕が自分に不快感を与えている、
ということに気づいていたのでしょう。
それはおばぁが、
「自分が何を喜びとし、
何を不快と感じるのか?」に対して、
とてもとても丁寧で、
そのぐらい、
自分を深く理解しているからだと、
その時、感じました。
僕も、
Sangoでの共同生活を通じて、
自分を観照し、自分への理解を深めていく中で、
自分の敏感さにどんどん気づいている今があります。
自分のいる部屋の状態、
周りにいる人の喧騒、
目に見えない感情など、
自分の感覚を通じて入ってくるあらゆるものに、
反応している自分がいたのだと、
驚く毎日です。
そして、
そんな自分に気づけば気づくほどに、
相手の感情の機微にも
気づけるようになってきました。
それがとても面白いです。
沖縄に来るまでの僕は、
人を救いたい、人の助けになりたい、
という気持ちが強くありました。
だから、
相手を理解することに、
とても注意を向けていました。
コーチングを学ぼうとしてことも、
その一環です。
コーチングやらかし話はこちら!笑
でも今振り返ってみると、
どれだけ人のことを理解できていただろうか?
ということには大きくハテナがつきます。
人を救いたいという気持ちは、
死んだ母を救えなかったという気持ちから来るもので、
結局僕は、
母への後悔のやり直しを、
他の人にやろうとしていただけでした。
つまり、
相手のことを思っているつもりが、
自分の感情に振り回されていたわけです。
そう思うと、やっぱり
結局自分なのです。
自分のこと理解できてないで、
人を理解しようなんてなんたることだ!!
今は感じます。
自分と人は一つなのです。
だから、
自分を理解するということが、
人を理解することにつながります。
更に言えば、
周りの人の物語や感情を通じて、
更に自分を理解できるようになっています。
目の前の人を通じて、
自分に気づく喜びが、
どんどん深まってゆくのです。
ゆえに、
自分と向き合えば向き合うほど、
自分が喜べば喜ぶほど、
目の前の人の理解や喜びに、
どんどん繋がってゆくのです。
この宇宙は、
本当に素敵な仕組みでできておりますね。
そんな今を生きれていることが有難いです。
今日も気づきに感謝です。
まるっ!!
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