あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

自分の性別違和症候群について考えてみた!

おはようございます。

アスペルガーHSP男子の大北です。

 

幼い頃から、

自分の性に対して違和感がありました。

 

 

幼稚園の頃、プールで、

なぜか女の子の水着を着ていた時期がありました。

 

周りの男の子と自分の水着が違うことに驚き、

「自分も同じ水着がいい」と

母に抗議しました。

 

おままごとでやりたかったのは、

「お姉ちゃん」か「お母さん」でした。

 

欲しかったおもちゃは、

シルバニアファミリーのお家。

 

でも恥ずかしくて言えませんでした。

 

5歳下の妹が幼稚園に上がった時に

シルバニアのお家を買ってもらえたことに、

とても嫉妬したことを覚えています。

 

 

そんな僕でしたが、

成長し、小学校に上がった頃から、

男らしくなろうとし始めました。

 

周りの仲間外れにされることが怖かったのです。

 

一生懸命男の子に混じり、

スポーツしたり、

流行りの遊びに付き合ったり。

 

でも、

運動音痴だった僕は、

全然ついていけず、

 

周りの男の子みたいにできない自分を、

とても責めました。

 

 

この立派な男にならなきゃという思いは、

中学生以降も社会人になるまでつきまとい、

 

理想とする“男らしさ”と、

自分とのギャップに無意識に苦しみ続けました。

 

 

沖縄に来て数年経ったある日、

共に歩んでいる“沖縄のおばぁ”に

「いい加減、自分が女の子だって認めたら?」

と言われました。

 

衝撃でした。

そんなわけがない!と頑なに否定しました。

 

その時に心に浮かんだのは、

 

「もしそうだったら、家族を傷つけてしまう」

という恐怖でした。

 

 

でも、

その後も自分を研究し続け、理解を深めていくうちに、

自分でも自分が女の子だと認めざるおえなくなってきました。

 

そしてまたある日、

"沖縄のおばぁ"にまた聞かれました。

「あなたは、ほんとは女の子になりたかったのよね。」

 

そしてついに僕は

「そうなんです。」

と認めました。

 

そしたら、

勝手に心の底から涙が出てきました。

 

それは、

喜びの涙でした。

 

 

その日の夜勇気を出して、

父と妹にその事実を伝えました。

 

戸惑いながらも、

受け入れてくれました。

嬉しかったし、安心しました。

 

その翌日、

Facebookにてその事実をカミングアウトしました。

 

たくさんの人が応援してくれました。

これまたとても嬉しかったです。

 

29年経って初めて、

自分の性への違和感を認めることができたのです。

 

僕の特質は・・・??

調べてみると、

自分の性に違和感を抱えている人については、

様々な定義がありました。

 

性同一性障害トランスジェンダーXジェンダートランスセクシャル
などなど

 

調べてみると、

結構難しいです。

 

性別違和症候群は、

トランスジェンダーによって抱える不安や苦痛のことを指すそうです。

性同一性障害はまた別。)

 

 

 

あえて自分のことを言うとしたら、

性別違和症候群を抱えていたトランスジェンダー

なのだと思います。

 

でも正直なんでもいいです。

 

女の子になりたい気持ちがある男の子です。

 

女の子の体に興味はあります。

でもおっぱいは大変そうです。

 

生理も大変そうで、ドキドキします。

その点で、

女性のことを深くリスペクトしています。

 

なので、

体の構造まで変えたいとは思いません。

 

おちんちんは、

立ちションするのに便利です。

 

結構気に入っています。

 

女の子の快感にも、

それなりに興味があります。

 

力仕事も嫌いじゃありません。

でも料理や裁縫も好きです。

 

仕草は完全に女子です。

 

女の子を好きになることもあれば、

男の子を好きになることもありました。

(男の子を好きになったことに対する抵抗感は凄まじかったです。)

 

いわゆるバイセクシャルなのでしょう。

 

つまりは性別関係なく、

「人」を愛しているということだと思います。

 

そう考えると、

結構普通な気がしています。

 

パートナーのゆりさんは、

女の子であり、男の子でもあります。

 

yaaninju-yui35.hateblo.jp

 

そんなことを気にしたことは、

あまりありません。

 

とても愛おしい人なのです。

 

 

自分を理解できてよかった

とにもかくにも、

「女の子になりたかった」自分を理解できて、

 とても生きることが楽になりました。

 

ものすごく息ができるようになりました。

 

そして不思議なことに、

男らしさも増しました。

 

前よりもナヨナヨが薄くなり、

自分の中に芯が出てきました。

 

だから僕は、

女の子でもあり、

男の子でもあるのです。

 

どちらも認めてあげることが、

僕には必要だったのです。

 

どちらもあっていい。

 

そう思えた今、

「これは男っぽいだろうか?」とか

「これは女性っぽくてかっこ悪いんじゃないだろうか?」とか

そんなことをいちいち考えることがなくなりました。

 

ありのままを表現でき、

とても自由になりました。

 

大切なのは、

受け入れることだと理解しています。

 

 

これは仮説ですが、

自分の性に対する違和感の強弱は、

実は自分への抵抗感から来ているのではないか

と感じています。

 

社会が、家族が、自分が、

自分を認めてくれないことへの抵抗から、

違和感が強くなり、体を変えたいと思う人も多いのではないか?

 

という気がしています。

(それがいいとか悪いとか言いたいわけではないよ!)

 

まだまだ研究が必要です。

 

 

僕が自分の性別違和を受け入れることに

安心できているのは、

 

受け入れてくれた仲間や環境があったことが、

とても大きいです。 

 

だからもっと人々の理解が、

進んでいくことを祈ります。

 

今ある環境が、

心の底から有難いです。

 

 

最近は、

「たまにはスカートを履いてみたら?」

と言われます。

 

まだまだ自分の女性性を開く

新しい扉は用意されています笑

 

今後も、

性別違和に関する自分研究は続くのです!!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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