あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

生きた音は経験から紡がれる。

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

どうしたら人とうまくコミュニケーションを取れるだろう?

もっと言葉が伝わるにはどうしたらいい?

相手のことを理解するために必要なことって??

 

コミュニティで生きてきて、はや6年。

 

同じものを目指して歩み、共同生活を営む中で、

コミュニケーションは欠かせないもの。

 

コミュニケーションにおけるデコボコが激しい僕は、

うまく伝わらなくて悲しくなったり、

相手のことを理解できなくてイライラしたり、

 

結構たくさん悩んできました。

 

その度に色々なアドバイスを聞いたり、

何とか相手を納得させるような情報を集めてみたり、

色々とやってみるけれどなかなかうまくいかず!

の日々が長かったでございます。

 

しかし気がつけば最近、

聴く姿勢も伝えることも、なんだか随分変化してきて、

 

相手と繋がっている、

ちゃんとお互いに歩み寄ることができている、

と感じるコミュニケーションが増えてきている感じがするのです。

 

naturalhspman.hatenadiary.jp

 

何か決め手があったわけではありません。

 

このコツをおさえているからうまくいく!

とかいうものがあるわけでもありません。

 

でも、

いつの間にかできてきているのです。

 

強いていうなら、

自分の中から出てくる音が変わりました。

 

自分から相手に伝える時、

ちゃんと言葉が相手に届く音。

 

相手が伝えてくれている言葉を受け取る時、

ちゃんと相手を受け取る相槌の音。

 

自分の中から出てくる音が、

この世界にとてもよく響く音になってきている。

 

そんな感覚があるのです。

 

 

別に発声方法を変えたわけでも、

「おでの声を響かせたろう!」と思っているわけでもありません。

 

強いていうなら、

落ち着いている時。

 

自分の内側が感情的に波立たず穏やかな時に、

自分の内の深い部分から音が紡がれている感覚があります。

 

 

つまりは、

穏やかになってきているということ。

 

じゃあ穏やかになるためにどうしたか?

と自分に問うても、

やっぱりすごい方法論があるわけではなくて。

 

あるのは「経験」だけ。

 

苦しみもがいて、あがいた自分をさらけ出して弦にのせる。そうやって私達は生きた音を奏でる。 

 

今日見たアニメ、「4月は君の嘘」で言ってました。

 

www.kimiuso.jp

 

右も左もわからずぶつかって、

たくさん泣いて、へこんで、怒って、絞り出して。

 

そうやって苦しんだ経験をたくさんさせてもらえたから、

体にしみついた経験が、

僕の言葉を生きた音に変えている。

 

言葉は光。

音は波動。

波動は常に内から発せられる周波数。

 

どんな波動に光をのせて伝えるのか?

 

内側の内側。

奥底から出てくる周波数は、

コントロールしようがないし、嘘がつけない。

 

方法論でも、データでも、

どうしようもないのです。

 

だから僕らは結局のところ、

経験するしかないのです。

 

知性は知識を巧みに操る能力のことですが、知識は理解とは全く異なります。ここでいう理解は単なる思考活動のみならず、その全存在をもってする経験を指します。知性において劣っていたとしても、己という存在の核心にある多くの深遠な真実を理解することは可能です。

 

遺伝子易経62番 心の闇「知性」より

 

知識だけではどうしようもないことが、

経験を通じて理解に変わるのです。

 

結局のところ体当たり人生。

 

ただ机に座って、本を読み、

知識ばかりを集めるのではなく、

 

コミュニティの中で、人と向き合い、ぶつかり合い、

リアルに揉まれ合う経験を通じて、

僕の内側は進化・成長することができている。

 

そう思うとやっぱり、

こうしてコミュニティで生きられている今は、

とてもありがたいと感じる今です。

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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命のバトンは渡されていた 〜僕にとってのすごい愛着〜

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

今日はものすごく個人的な気づきのお話。

 

”愛着”というものは、

人格形成においてとても大切なもの。

 

特に両親との間でどのような愛着を育むことができたかは、

その後の人生においてとても大きな影響があります。

 

健全な愛着を育めなかった結果として起こる症状は”愛着障害”と呼ばれ、

 

「人に嫌われているのでは??」と疑心暗鬼になったり、

人と関わるを避けてしまったり、

物事に情熱を傾けることができなかったり、

 

情緒や対人関係に様々な支障をきたします。

 

 

かくゆう僕も幼い頃から、

 「いい子でいないと両親に愛されてないのでは?」

という不安を抱えており、

 

この愛着障害に当てはまることが部分が多々あると感じていました。

 

だからこそ大人になった今、

改めて自分に対して安心を伝え、愛着を再生している今です。

 

naturalhspman.hatenadiary.jp

愛着障害について触れた記事はこちら

 

 

そんな僕ですが、

最近パートナーのゆりさんからハッとさせられる一言があったのです。


「あなたも愛着障害だというけれど、

あなたの中には一貫した芯や愛着のようなものを感じる。」

 

なんやて(・Д・)

 

親に愛されているか不安でずっといい子で生きてきたのに、

一番愛されたい対象だった母が、僕が20歳の時に光に還って、

誰に愛されたらいいのかわからず、フラフラと彷徨い続けた僕に、

芯を感じるとな!!

 

ゆりさんの言葉をきっかけに

実は自分が気づいていない愛着が育まれているのではないか?

と自分を見つめてみたら、ありました!愛着!!

 

その愛着は、

母の生き様からくるものでした。

 

僕が中学2年生の頃、

白血病にかかり闘病生活がはじまった母。

 

そこから7年間、

入退院を繰り返し、治療に臨んでおりました。

 

闘病生活をしながらも、

自分のことよりも子どもたちのことを優先する母で。

 

僕の大学受験の頃などは、

本当は入院しなきゃいけない状態でも、

無理をしてずっと家で家事をし、

受験を応援してくれていました。

 

そんな母が光に還る間際、

僕と妹が看取る病室の中、

 

僕は最期をさとり、母に問うたのです。

「僕たちにこれからどう生きて欲しいと思ってる?」

 

その問いに母はこう答えました。

「あなたたちの好きに生きたらいいのよ。」

 

その言葉は、

僕にとってとても衝撃的で。

 

あれだけ家族のために必死で生きようとした母が、

僕たちには何も求めていない。

 

ただ純粋に母は命を燃やしながら、

僕たちの人生を守り続けようとしてくれていたのだと、

そのとき気づきました。

 

それ以来この言葉は、

僕の胸に深く深く刻まれました。

 

 

母が亡くなった後、

一番愛されたい人を失った僕は、

 

当て所なく彷徨いながらも、

「好きに生きたらいい」の言葉を胸に、

がむしゃらに頑張り続けることができました。

 

しかし同時に、

母に先立たれたことに対する哀しみや怒りなどの感情は、

「僕の人生を救ってくれたすごい母」という美化によって、

抑圧されていきます。

 

「あんなに一生懸命母が生きてくれたのに、

そんな母に怒りを感じるなんて、あってはならない。」

「前を向いて一生懸命生きよう!」

 

と自分にハッパをかけ続け、

哀しみにくれる幼い自分を無視し続けていったのです。

 

 

そんな抑圧は、

沖縄に来て、爆発します。

 

ありとあらゆるガキな振る舞いをやりつくし、

自分の気持ちに素直になり、

幼少期からの両親に対する怒りや哀しみなどの感情が、

蓋を開けたように出てきます。

(あの頃の僕は盗んだバイクで走り出したかのようにひどかった!笑)

 

そして同時に、

精神世界への理解も深めてゆき、

病気は自分で創りだすものだと気づきます。

 

つまり、

「病気と必死に戦い、子どもたちの人生を守ったすごい母」

という美しいだけの聖母物語ではない部分が見えてきたのです。

 

母もまた、

自分の弱さや厳しさに葛藤し続けた1人の人間だったと、

理解を深めてゆくのです。

 

そんな母の弱さが見えてくると、一気に逆方向に振り切り、

「聖母だと思ってたのにそうじゃなかった!先立ったお母ちゃんのばかやろー!!」

となり、

母が僕たちの人生を守ってくれたという気持ちを、

なかったことにしてしまった時期がありました。

(ほんと、極端なのよ僕!笑)

 

あの頃は、

母の弱さを受け入れられないくらい、

自分の弱さを受け入れることができなかったのです。

 

そこからまた自分への理解を重ね、

自分の弱さをどんどん受け入れられるようになり、

ありのままの自分を解放できるようになってきた今。

 

また再びゆりさんの言葉をきっかけに、

 

母の、

「好きに生きたらいいのよ。」と

再会することができました。

 

そして気づくのです。

 

母に弱さがあろうと何だろうと、

やっぱり母が僕たちの人生を守り続けてくれたことは、

事実であったことに。

 

そして、

母の繋いだ命のバトンは見事に僕を支えています。

 

 

自分に対する大きな愛着の不安を抱えていた僕は、

特に自分の負の感情が爆発していた頃、

ことあるごとに死にたくなっていました。

 

でもそんな時、よく自分に問うたのです。

 

「今死んだら、母はどう思うだろうか?」

 

もちろん生きてる人たちが何と思うだろうか?

も想像しますが、

 

一番自分を鼓舞し、支えた想いは、

「母に繋いでもらった人生だから。」

ということ。

 

死にたくなるたびに、

何度もなんども自分に問い、その結果として、

今日も僕は笑って生きておられているわけです。

 

まんまと僕は、

母から命のバトンを受け取ってしまっていたわけです。

 

これを愛着と言わず、何と言おうか!!

 

 

生きている間に育まれることだけが、

愛着ではない。

 

光に還ってもなお、

子を支え続けてくれている親の愛情があるのですね。

 

心から感謝です。

お母さん、ありがとう。

 

今日も気づきに感謝です。まるっ!!

 

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熱力学的にもウツは必ずやってくる。

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

外は台風です。

今回の台風は珍しく長引くタイプ。

 

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最接近の昨日は暴風メインでしたが、

今日から先は雨が長く続きそうです。

 

それだけ大きな浄化の時なのでしょう。

 

そして、

これだけ風雨が続き、引きこもり生活が長引くと、

気持ちも引きこもりウツっぽく内省的になってゆく。

 

それもまた必然なのだと感じ、

落ち着くことができている今があります。

 

なぜウツを肯定できているのか??

 

それは、

ウツが熱力学的法則によるものだと気づいたから。

 

 

先日Sangoファーム中城で行われた「畑de遺伝子易経勉強会」。

かれこれ6回目の開催となる今回。

 

扱ったテーマは1番。

心の闇:エントロピー、天の才:鮮烈、天の光:輝き。

 

このエントロピーという難しい言葉が、

今回のミソでした。

 

エントロピーとはなんぞや!を調べてみると、

エントロピー増大の法則という言葉が出て来る。

 

エントロピー増大の法則とは、

物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはない                        (出典元は下記のサイト。)

ということ。 

 

 

jp.dreamscope.me

 

わかりやすかったのでこちらのサイトを参考にして、

この法則について語ります。 

(多分僕がこれから語ることはエントロピーのほんの一部に過ぎないけれど)

 

例えば、

仕切られた箱の中に熱々のコーヒーを入れたとする。

 

箱の中の空気の温度は10℃で、コーヒーの温度は60℃。

 

この時コーヒーの熱は、

箱の中の空気を温めてゆきます。

 

つまりコーヒーから空気へ、

高いところから低いところへ熱エネルギーが移動するのです。

 

この時エネルギーは、一定方向に流れているから秩序がある。

これはエントロピー値が低い状態を表します。

 

そして結果として最終的に、

コーヒーと空気の温度は一緒になります。

(この記事の例えでは、どちらも20℃になっている)

 

このコーヒーと空気の温度が一定の状態は、

エネルギーの移動がなくなる無秩序の状態。

 

ゆえにエントロピー値が高いというわけです。

(わかる?わかる??)

 

つまり、

エネルギーが高いところから低いところへ秩序をもって流れ、

最終的にエネルギーの流れが止まり、無秩序になる。

 

これがエントロピー増大の法則なのです。

(うん、これ以上は突っ込まないでください笑)

 

 

この法則ってよくよく考えてみたら、

僕たち人間にも結構当てはまる!

 

例えば何か目標を立てたり、「あれやるぞ!」って決意表明をした時、

最初はめっちゃやる気むんむんで熱量が高いです。

 

でも時間が経てば経つほどに、最初の熱量は落ち、

だんだんやる気がなくなっていきます。

(やる気を行動に移せなければ、さらに落ちるのは早い)

 

時間だけではなく環境でも言えることで、

自分だけめっちゃやる気があって、周りの人がやる気がなかったら、

エネルギーはどんどん奪われていき、自分もナァナァになっちゃったりすることも。

 

目標に対しても同じこと。

目標に向けて自分のエネルギーを注ぎ続けて、その目標を達成したら、

その後、燃え尽き症候群になることも。

 

いろんな場合において、

人のエネルギーは高きから低きに流れ、

やがて無秩序な停滞状態になる。

 

これは宇宙の法則、自然の摂理。

 

つまり、

熱力学的にも必ずウツはやってくるというわけです。

 

だからウツになったり、気分が塞がることは悪いことじゃない!

それは必要であり、必然なのです。

 

大切なことは、

そんな自分との向き合い方。

 

遺伝子易経ではこのような記述があります。

 

エントロピーは心の麻痺として表出します。この麻痺の状態は、極めて豊かな気づきの状態といえます。大事なことを説明すると、第一に、これが化学物質によって引き起こされる状態で、その次に、突発性があり、完全に受容された後は、現れた時と同じように突然去っていきます。         (下線は僕が引きました。)

 

そうです。

大切なことは完全に受け入れることなのです。

 

僕たちは

「常にポジティブでないと」と思い込みがち。

 

幸せな状態がずっと続いていることを望み、

憂鬱な気分や苦難から逃れようとしがちです。

 

でも、

逃げれば逃げるほどに、それらは追いかけて来るのです。

 

「ウツじゃダメだ!」と抵抗している間は、

ウツから抜け出せないのです。

 

ウツは創造に向かう一つのプロセス。

無秩序、混沌の中にこそ、新たな爆発(=ビッグバン)が生まれるのです。

 

だからこそ、

ウツに慌てない。ウツを嫌わない。ウツで落ち込まない。

 

ウツは心の中に台風がやってきたようなもの。

 

台風はエネルギーをかき乱し、浄化し、

そして去った後に待っているのは台風一過、天晴れなのです。

 

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そんな気持ちで、

今ここにある台風を受け入れ、楽しんで過ごしてゆきます笑

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

一人一人の"正しさ"を超えて、みんなひとつに。  

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

改めて、

昨日の話し合いを振り返る今日でございます。

 

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好き好んで威圧的・無責任・分からず屋になるわけじゃない

 

7月に入って何度目かの話し合い。

昨日は朝8時から夜22時まで。

(1番話したかった本題に入れたのは17時からだということは内緒の話)

 

連日未消化を解消し続けることで、

聞きたいこともどんどんクリアになっていき、

いよいよ核心をついた話ができてきたように感じます。

 

ずっと気になってたけど聞くのが怖かったことを、

やっと聞くことができた話し合いでした。

 

実際に伝え合いが始まると、

 

「えっ!?そんな風に思ってたの??」とか、

「そこは結構真剣に考えてくれていたんだ!」とか、

「その発想は斬新すぎて、想像の斜め上だった!」とか、

 

目からウロコなことがたくさんあって、

ただただ相手を怖い人、苦手な人、腹が立つ人にしていた部分のイメージが、

どんどん塗り替えられていく。

 

人は誰も好き好んで、

威圧的、無責任、分からず屋であるわけではないのです。

 

相手に威圧を与えないといけないくらい自分にプレッシャーをかけていて、

責任を回避したくてしょうがないくらい恐れがあって、

分からず屋に見えることは、本当にわからなくて困っているのです。

 

人それぞれ色んな過去があり、

色んな家庭で育ち、

その中で育まれた気質がある。

 

今この瞬間に現れる態度は、

連綿と続く人生とその中で育まれた

”恐れ”や"戸惑い"の結果なのです。

 

特にここ最近の話し合いでは、

回避行動の奥にある"恐れ"についてすごく根深いものが見えてきていて、

 

人の回避行動は、ただ単に表面だけを見て批難できるようなものではなく、

互いに真剣に理解し、受け入れ合い、時にはケアが必要なものであるということに

気づくことができました。

 

 

押し付けるのではなく、歩み寄る

 

だからこそ大切なことは、

押し付けるのではなく、歩み寄ること。

 

これまでの話し合いでは決して、

こんなコミュニケーションはとれなかった。

 

なぜなら僕らは、

一つの正しさを押し付けあっていたから。

 

「これが正しい。」「こうすべきだ。」

「これができないって、やる気あるの??」

 

一つの正しさに準じることができているか否かばかりを、

問い詰めあっていた過去がありました。

 

もちろん組織やコミュニティとして、

一つの方向に向かって歩むための、

信条や目的は大切なこと。

 

Sangoでいうと、

理念と生き方の道。

 

www.sangookinawa.org

 

それがブレてはコミュニティは成り立たないし、

力も合わせられない。

 

でも、

その目的に向かうための表現方法や道筋は人それぞれ。

 

それぞれの気質も違うし、

恐れや回避行動が現れる箇所もバラバラ。

 

僕にとっては理念に沿ってるように見えなくても、

相手は理念に向かって一生懸命努力しているかもしれない。

 

だから、

自分の正しさを押し付ける前に、

まずフラットな気持ちで訊ねることが必要。

 

安心して伝え合う。そのための仲介役。

 

しかし、

相手からプレッシャーをかけられたり、無責任に見える行動を取られたりして、

自分が傷ついてしまっている時に、

フラットな気持ちで相手に訊くことは難しい。

 

相手の行動を正したいし、

成敗したい気持ちも出てくる。

 

それもまたいい悪いではなく、

気質の問題。

 

 

だからこそ、

話し合いの場において、仲介の役割がとても重要。

 

問題提起をした人の意見や感情を受け入れつつ、

その正しさだけに偏ることのないように、

受け手の純粋な気持ちを聴いてゆく。

 

安心があるからこそ、人は素直になれる。

 

自分が責められていると思っている場所では、

自分の気持ちを正直に伝え合うことは難しいのです。

 

場の安心を育み、話を円滑に進める議長としての役割を、

掴んできている今であります。

 

ただもちろん、

まだまだまだまだ足りない部分もたくさんあって。

 

僕も感情的になっちゃったり、正しさに動いてしまったり。

人の意見を求める人が偏ってしまったり。

 

課題もまたたくさんです。

 

そんなポンコツ議長でしたが、

自分一人で頑張るではなく、いい感じに仲間のフォローも入り、

みんなで創り上げていく話し合いでした。

 

 

一人の"正しさ"を超えて、みんなひとつに。

  

僕個人的には、

今までもやっとしていたアレヤコレヤが、

とってもスッキリして、

 

「みんながSangoをやりたくてやっているんだ。」

という共通認識をもっと深く確認でき、

 

これまでになく一つになれた気がした、

とてもよき時間でした。

 

 

6年以上かけてずーーーーーーーーっっと、

ひとつになることに心血を注ぎ続けている僕たち。

 

もちろんこれで終わりではないし、

まだまだこの先の一体感はあるのだと思いますが、

 

まずは一つ新しいステージに立てた今です。

 

今日も気づきに感謝、仲間に感謝です。

まるっ!!

 

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・こんな僕たちが集まるコミュニティがこちら。

www.sangookinawa.org

 

・メンバーが民宿もやっております。アスぺなお宿(笑

 だからこそ育まれるくつろぎ空間と、体に優しく美味しいお食事。
 ぐっすり寝れます(笑 オススメです。

yaaninjuyui35.wixsite.com

 

・宮城でも仲間たちが、

 安心の中で成長できるコミュニティを創っています。

 

familyyaaninjumiyagi.hatenablog.com

聞きたいことが聞けた1日

今日も今日とて話し合い。

 

僕自身、

今までなかなか聞けないことを、

ついにちゃんと聞くことができました。

 

聞いてみると、

思いもよらない答えや、想像を遥かに超えた嬉しい声が返ってきて、

 

なんだかとてもスッキリして、

やっとひとつになれたような気持ち。

 

またここからひとつひとつ、

やっていきまっしょい!

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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「すごい人」にしている間は、人として見れてない。

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

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安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

憧れや尊敬の感情はとても素敵なものだけど、

それに囚われ過ぎると、

相手を間違ったメガネで見てしまうことになりがち。

 

大学時代から、

社会で活躍されている色んな方と交流する機会が多く、

 

そのたびに、

「この人すげー!!!」「こんな風になりてー!!!」

と思っていた若かりし僕。

 

そんな中で出会ったすごい素敵で尊敬できる人と、

一緒に活動をするようになった時期があるのです。

 

あの頃の僕は恋は盲目状態。

 

とにもかくにも、give,give,give。

 

この人に認められるためだったら、

できることはなんでもしたい!って気持ちでした。

 

他の活動とも掛け持ちする中で、

寝る間も惜しんで、自分を差し出し続ける日々。

 

その裏にあるのは、

「自分なんて大したことない。」

という卑屈さ。

 

自分は大したことないから、

差し出し続けないと、認めてもらえない。振り向いてもらえない。

一緒に活動するに値しない。

 

そんな気持ちが無意識にあって、

だからこそ自分のキャパを超えたところで、

自分を差し出し続けていたのでしょう。

 

その一方で、

活動に対する責任感はあまりない。

 

「最終的に、

このすごい人だったらなんとかしてくれるはず。」

という気持ちがどこかにあって、

 

一番大事な部分はどこか丸投げに

していたような気もします。

 

「この人についていったらなんとかなる」

という甘えの気持ちと、

「自分なんて大したことない」

という卑屈な気持ち。

 

この二つの気持ちが絶妙にマッチし、

相手を「なんでもできる完璧なすごい人」に仕立て上げ、

相手に依存し、他人軸で生きる自分となっていたことを、

最近思い出します。

 

というのも、あの頃から10年経った最近、

その人と再会し、

また一緒に活動する機会があったのです。

 

自分もSangoの活動に責任を持つようになって、

少しは大人になった状態での再会。

 

実際一緒に活動してみると、

相手は昔の僕が思っていたよりも、

結構焦ったり、迷ったり色々してるやん!!

 

完璧スーパー超人じゃなくて、

僕と同じような弱さもちゃんと併せ持った”人間”やん!!

 

そんなことに気づけたのです。

 

一方の僕は、

そんな相手のリアルに気づきつつも、

 

昔の僕に舞い戻ってしまったかのように、

相手に差し出し続けてしまって、

疲れちゃう場面も(笑

 

あぁ、

昔の僕はこんな風に自分を犠牲にして、

相手に依存していたんだなぁと気づいた、

とてもいい経験でした。

 

相手を「すごい人」にしてしまうことで、

失われていた対等性。

 

相手を勝手に「すごい人」にして、

「あなたなら、なんとかしてくれるでしょ!」

と相手に責任を丸投げしてしまう。

 

相手だって同じ人間なのに、

これってすっごく自分勝手で失礼やん!!笑

 

尊敬の念はとても大切だけど、

弱さも強さも併せ持った人間としての

"距離感"と”気遣い”もお互いに大切ですね。

 

 

「輝き」は全ての存在との一体性の中にあります。(中略)

人間が何かを見たり感じたりして、何か輝いていると褒め称える時、人間は輝きから分離し、一体性から離れています。そこに低い次元での輝きの投影はあっても、真の輝きは存在しません。

 

          『遺伝子易経』 1番の天の光 ”輝き” より

 

あなたとわたしは本来一つ。

 

神も自然も恩師もメンターも、

決して「すごい存在」ではなく、

対等な存在。

 

それを勝手に「すごい」にしちゃうから、

自分を下げてしまって、

自分の輝きを失ってしまう。

 

対等性の大切さに気づけた、

とてもよき学びでした。

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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ケガしたら絆創膏よりまず先に、イタイのイタイのとんでいけ

こんばんは。

エンパス男子の大北です。

 

沖縄にあるコミュニティ"Sango"に所属し、

安心の中で喜びを分かち合える、

そんな暮らしの場を仲間とともに育んでおります。

 

その中で、Sangoファーム中城という畑の園主をしており、

薬や肥料を使わず、水やりもせず、祈りと喜びで畑を営む日々。

 

何かトラブルが起こったとき、

すぐに"対処"しようとしがち。

 

問題の解決に動いたり、

次に同じ問題が起こらないように、

対策を施したり。

 

そんな時、

とっても大切なものが置いてけぼりになっていたりするのです。

 

それが、"感情"。

 

 

 

小学校の頃に仲間はずれになった経験のある友人。

 

彼女は、同じ問題が起こらないように、

仲間はずれにならないような術を身につけようとする。

 

それが、

人に嫌われないような自分を演じること。

 

人の顔色を伺い、人を怒らせないような、

いい人な自分を演じる。

 

でもそれは、

本当の自分じゃなくて、

恐れから生み出された対処。

 

ありのままの自分じゃダメなんだという気持ちから、

人にいい顔して、自分を偽り続け、

 

いつしか、

自分を素直に表現できなくなり、

自分のしたいことも分からなくなっていく。

 

問題に対処したはずが、

どんどん問題が深刻化してしまっていたのだ。

 

 

彼女が置いてけぼりにしていたのは、

仲間はずれになった時の気持ち。

 

寂しかったり、怖かったり、混乱してたり、怒ってたり。

 

そんな気持ちに全部蓋をして、

自分が悪かったんだと自分を責め、

自分の個性を否定するという対処に出たのだ。

 

今日彼女は、

そんな置いてけぼりの感情に、

向き合い、涙することができていた。

 

自分を偽っていたことや、

本当にしたかったことを思い出すことができていた。

 

自分と向き合う姿を見せてもらえて、

本当の自分に気づけた姿はとても素敵で、

僕もとても嬉しかった。

 

 

よくよく振り返ってみたら、

 

子供の頃、転んで怪我をしたら、

1番最初にしてくれたのは

「イタイのイタイの飛んでいけ!」。

 

痛かった気持ち、

びっくりした気持ち、

嫌だった気持ち。

 

そんな気持ちを受け入れ手放すことから始めてた!

 

そんな気持ちを差し置いて、

絆創膏を貼ろうものなら、

 

ケガしたところは膿んじゃって、

痛みも長引き、嫌な思い出になり、

転ぶことが怖くなる。

 

でも、

ちゃんと「イタイのイタイの飛んでいけ!」したなら、

 

絆創膏を貼らずとも、

いつのまにか痛みは治って、

元気に再び走り出す。

 

問題を対処するより先にすることは、

気持ちと向き合い、手放していくこと。

 

そんなことに気づけた本日でございました!

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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