あるがままに生きるために〜コミュニティSangoで暮らす日々のキロク〜

魂の成長を目的としたコミュニティ『Sango』の住人である大北のブログ。“祈りと喜びで育つ畑”「Sangoファーム中城」の園主でもあり、とっても敏感(HSP・エンパス)なアスぺ男子。沖縄の雄大な自然の中で、仲間と共にあるがままに生きる。そんな日々の暮らし・畑仕事の実験や気づきなどを綴っています。敏感男子、ただいま地球に適応中٩( 'ω' )و

【気づき】「当たり前」に生きている日々を何よりも大切に噛みしめる。

『道』という映画を見た。

 


映画の名シーン「道 [最高画質版]」

 

僕の大好きな『日日是好日』という邦画の中で、

冒頭に語られる映画。

 


『日日是好日』予告 2018 年10 月13 日(土)公開

 

とても素晴らしい映画だった。

 

自分には何の価値もないと嘆いた主人公が、

どれだけ素晴らしい役割を果たしていたかを見せられて、

 

「当たり前なことの中にこそ、価値がある。」 

ということを改めて気づくことができた。

 

 

僕たちは、

自分に「価値」をつけたがる習性を持っていて、

その性質ゆえに、非凡になろうとする。

 

「他の人と同じことをしては埋もれてしまう。」

「自分にしかない才能は何だろうか?」

「他のサービスと差別化を計らなくちゃいけない。」

 

自分の個性、オリジナリティを求め、

オンリーワンを目指そうとする。

 

そうでなくては、

この社会ではうまくやっていけないと、

思い込んでいる節がある。

 

 

非凡である人が取り上げられ、讃えられ、

成功者とされ、周りから憧れられる。

 

だからこそ、

平凡な自分であることを卑下し、

「自分だけの価値」を探し求めてしまう。

 

そんなところが自分にも大いにある。

 

 

とかく、

こうしてSNSなどで発信をしていると、

他の人と比較して、どうやったら目立てるだろうか?

とつい考えてしまう自分がたくさんいる(笑

 

それ自体も遊びの一つだし、

決して間違っていることではない。

 

でも、非凡であることを求めすぎると、

誰もがしている「当たり前のこと」の価値が見えなくなる。

 

 

当たり前のようにしている生活。

 

毎日太陽が上り、光がさす。

夜になると、虫の音が響き渡る。

 

晴れた日には、

洗濯物がよく乾いて、気持ちよくて嬉しい。

雨の日には植物たちが恵みを受けて、喜んでいる。

 

寝起きしている部屋、仕事をする場所が、

ちゃんとある。

 

そんな場所を大切に丁寧に掃除すると、

場が喜ぶ。そして僕の心も晴れてゆく。

 

毎日、命をいただいている。

 

目の前に差し出された野菜・肉・魚。

様々な調味料。

その一つ一つに関わっている人たち。

 

様々なもののお陰様で、料理が作れている。

 

美味しいご飯に、顔がほころび、

喜んでいただいた命が、僕の血肉となっている。

 

「どんな自分でも大丈夫」だと安心できる場所がある。

 

この場所で共に歩めている仲間がいる。

支え合い、助け合い、

時に泣き、時に笑い、時に喧嘩し、時に抱きしめ合う。

 

応援してくれる人たちがたくさんいる。

 

「広げたい。」と言ってくれる人がいる。

「手伝えることあるか?」と聞いてくれる先輩がいる。

「これ要るね?」と材料を譲ってくれる方がいる。

 

僕たちの生きるを支えてくれる人たちのお陰様で、

僕は今生きている。

 

愛されている。

家族に、仲間に、パートナーに愛されている。

 

僕の命を掬い上げてくれた人たちがいる。

可能性を信じ続けてくれている。

 

僕の命を使い道を、僕の尊厳を、

僕と同じくらい、いや時に僕以上に、

大切に考えてくれる人たちがいる。

 

目の前にいる大切な人たちが、

もしいなくなったらと想像してみる。

 

胸がギューっと締め付けられる。

 

この文章を書いているだけで、

泣きたくなる。

 

20歳の時に母を亡くした僕は、

「当たり前」は当たり前じゃない。

ということを知っている。

 

でも時に忙しくなると、忘れそうになる。

大切にできなくなる。

 

だから、

何度でも書き記そう。

 

今日も僕は起きれてる。

仲間に「おはよう」が言えている。

 

笑顔で伝え合うことができた。

有難うも伝えれた。

 

嬉しいが何度もあった。

大変!って思うこともあった。

 

あんなに死にたいと思っていた僕が、

今日は生きていることが嬉しいと思えている。

 

 

全部、今日も僕が生きているから、

味わえていることだ。

 

 

「Sangoは当たり前のことを何よりも大切にしている場所だと、

私は思っているよ。」

と仲間が伝えてくれた。

 

「そうだね。」と僕も頷く。

 

そんな場所に、

自分が今居れていることが有難い。

 

当たり前に生きている日々を、

何よりも大切に嚙みしめる。

 

そんな一日でした。

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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【気づき】今日はどうやって自分を生かそう??

雨の日は少し憂鬱な気持ちになる。

 

畑で僕が寝泊まりしている小屋は、

決して広い部屋ではない。

 

大雨で外に出ないと、

行動範囲が必然的に限られてくる。

 

気がつくといつのまにか、

同じ場所に座っている。

 

PCの前で仕事をしようとするも、なかなか手につかず、

いつのまにかトドのようになってしまっている!

 

そんなことがよくあった(笑

 

 

「自分に優しくする。」「自分を大切にする。」

この言葉たちには、甘い誘惑が付いて回る。

 

「今日は自分を甘やかしていいよ。」

「やりたくないんだったら、やらなくていいじゃん。」

「ダラダラしちゃいなよ。」

 

そんな「サボりたい僕」の悪魔の囁き。

特に雨の日に効果は抜群だ(笑

 

 

しかし、

そんなささやきに乗ったところで、

気分がいいかというと、決してそうではない。

 

トドになった僕。

本当にトドになったことを喜んでいるのか?

と問われると、

 

正直全然喜んでない!!

なんだかいつもとってもモヤモヤ自分がいるのだ。

 

 

というわけで、大雨の昨日。

いつもと違う行動に打って出た。

 

まずはお部屋の整理整頓。

ずっと無視してきた、整っていない場所や本棚を整理した。

 

ゆりさんが東村に戻って以降、

初めて物の配置を変えた(笑

 

僕には一つ野望がある。

 

それは、

この部屋に机を置くこと。

 

学びに集中できる空間を創りたいのだ!

 

これまでは全く机を置けるイメージが湧かなかったが、

部屋の模様替えを進めたことで、

イメージが湧いてきた。

 

自分の願望に向かっていく時間は、

とても楽しい!!

 

午前中は整理整頓で、

とても有意義な時間を過ごせた。

 

午後はまずブログを一つ書く。

 

そして気づく。

「大雨だからって、

外に出てはいけないという道理はない!」

 

おもむろにレインコートを着て、

畑を歩き回る。

 

もうそこかしこが大洪水だ笑

 

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裏の排水溝は溢れ、

洪水も起こっていた。

 

こんな中で、健気に生きる植物たちの力強さに胸打たれる。

雨だからこその発見があって、とても嬉しい。

 

部屋に戻ると小腹が空いたので、

ポップコーンを作って食べる。

 

そして、はたと気づく。

 

何かを食べた後、

トドになりそうな自分がいる!

これはダラダラするパターンだ!!

 

食べ終わった後、

急に空に晴れ間がさした。

 

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大雨の後の天晴れ。

 

太陽の有り難みを余計に感じ、

嬉しく愛おしさがこみ上げてくる。

 

この気持ちを大切にしよう。

ここで誘惑に負けている場合ではない!

 

 

そう思い、おもむろに雑巾を絞り、

拭き掃除を始める。

 

普段できなかったところにも手を伸ばす。

 

体を動かし、目の前のものを綺麗にすると、

体内の滞りも動き始める。

 

お腹に溜まって、

トドに誘おうとしていたポップコーンが、

活力に変わっていく!

 

お部屋も綺麗になり、空間も変わり、

俄然やる気がました。

 

その調子で、

もう一本ブログを書く。

 

文章が生きている。

魂が喜んでいるのを感じる。

 

そのまま夜まで書くことを続け、

寝る前に一日を振り返り、

体を丁寧にほぐして、床についた。

 

すると今日、

びっくりするくらい気持ちよく目を覚ますことができた。

 

昨日の大雨の一日は、今日の自分につながる、

自分を生かすことのできた一日だった。

 

 

 

人はいつかくるその時に、

死を迎えているわけではない。

 

毎瞬毎瞬、今この瞬間に、

生きるか死ぬかが問われている。

 

今生きることを選べば、

心も体も喜び、生きる。

 

今サボること、死ぬことを選べば、

心も体も怠け、衰えてゆく。

 

ただ漠然と生きることは、

死に向かっていることなのかもしれない。

 

そして、

本当は僕たちは知っている。

 

漠然と生きるのではなく、

喜びを感じて生きたいのだ。

 

そしてその選択は、

今この瞬間から始めることができる。

 

さぁ、今日はどうやって自分を生かそう?

 

 

また一つ、

自分を生かせたこの瞬間に感謝を込めて。

 

まるっ!

 

【気づき】最後の草刈り 〜次に繋げる喜びを知る〜

終わりは突然やってきました。

 

いつも頼まれていた、

ある土地の草刈りのアルバイト。

 

先月下旬に依頼を受けてましたが、

足を怪我してしまったため、

先送りにさせてもらっていました。

 

今月中旬になり、そろそろバイトに入ろうと思っていた時、

土地主さんから急に電話がかかってきたのです。

 

「あの土地を借りて、畑をやりたいと言う人が見つかったんだ。

だから草刈りはその人にお願いしようと思う。」

 

僕は焦りました。猛烈に焦りました!!

 

僕にとって、

一番の収入であるこの草刈りバイト。

 

急になくなったら困る!!やばい!!(笑)

 

ケガでできなかったとはいえ、

こんな展開になるとは・・・!!

 

でも素直に気持ちを言えなくて(笑

 

土地主さんに対しては、

「そうなんですね!次の人見つかってよかったです!!」

とか言っちゃう僕。

 

確かに嬉しい気持ちはある。あるんだよ!

でも、ショックな気持ちもある!どうしよう・・・!! 

 

すると、

土地主さんが僕に尋ねてくれました。

 

「足の調子どうね??」

 

僕はとっさに、

「随分よくなりました!

だから明日にでも、草刈りに入ろうと思ってたんです。」

と元気アピール(笑

 

すると土地主さんは、

「そうね!だったら草刈りお願いするさ〜^^」

と言ってくれました。

 

僕、心の中でガッツポーズ(笑

 

そんなこんなで、

僕は最後の草刈りバイトをすることになったわけです。

 

現場はこちら!!

 

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前回の草刈りから、

約9ヶ月経っているこの場所。

 

にもかかわらず、

草の生え方はびっくりするくらい穏やかでした。

 

毎回、祈りを込めて、

土地さんとお話ししながら丁寧に進めてきた草刈り。

 

最初は厄介な草が入り乱れていたこの場所も、

回数を重ねるほどに、土地の想いが浄化され、

すごく刈りやすい土地に変化していったのです。

 

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(この土地での草刈りの様子をまとめた記事)

 

もうかれこれ5年になる。

パートナーのゆりさんとずっとやってきた草刈り。

 

前回初めて、手伝いをお願いして、

3人体制で行いました。

 

naturalhspman.hatenadiary.jp

(すごいタイトルの記事だ!!笑)

 

毎回のように蜂に刺され、

自分が本当は「このバイトを2人では大変だ」と感じていると気づき、

 初めて素直に「助けて」を伝えることができた、とても実り多き前回。

 

そして、今回の最後の草刈りバイト、

自粛期間もろもろで、ゆりさんも東村のことに集中することになり、

なんと1人で行うことになったわけです。

 

 

タイマンで向き合うというのは、

なかなかラストにふさわしい状況。

 

感慨深い気持ちで、今までの学びを総動員して、

丁寧に向き合ってゆきました。

 

まず蜂がいないか確認。

(刺される前に蜂さんの巣の除去に成功)

 

絶対に無理はしない。

作業は1日2〜3時間に抑える。

(ほどほどって大切)

 

 

焦らずコツコツ、

目の前のことを一つ一つ進めてゆきました。

 

先のことばかり見ず、

自分の歩みだけに集中していれば、絶対に終わりは来る。

 

それを理解できているのは、

この自粛期間に一人でコツコツ進めることができたことが、

とても大きいです。

 

naturalhspman.hatenadiary.jp

 

 

途中途中、

美しい花が咲いているのを見つけました。

 

 

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毎年毎年、何度草ボーボーになっても、

決して枯れることなく、健気に咲く花たち。

 

僕たちが、草刈りをすることで、

生かされる植物たちがいることは、

とても嬉しく、励みになります。

 

見事に作業中は曇り空。

天候にも恵まれ、3日間かけて、

草刈りを終わらすことができました。

 

スッキリです。

 

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(どっさり草の山)

 

正直に言えば、前回のバイトを最後に、

この草刈りをやめようかと思っていました。

 

毎回、草刈りを頼まれるまでのスパンがとても長く、

草がボーボーになっているので、

一回一回の草刈りにかかる労力が半端なかったのです。

 

少し無理をしている自分がいるのを感じていました。

 

草刈りに入るスパンを短くしてもらうか、

このバイト自体をお断りするか。

 

どちらかを考えていました。

 

すると土地主さんから、

「除草剤を撒こうかと考えている。」

と伝えられたのです。

 

僕たちはとても敏感肌なので、

除草剤を撒くことでの体への影響は多大です。

 

故に、

「除草剤を撒くことは敏感な僕たちには難しいんです。他の方に依頼してください。」

とお伝えしていました。

 

ずっと関わってきた土地に、

除草剤が撒かれることは少し寂しい気持ちもありました。

 

でも、土地主さんの気持ちも理解できます。

 

活用する人がいない土地。

土地主さんは体の自由がきかず、

自分で活用することも難しい。

 

そんな中で、土地を維持管理するためだけに、

限りあるお金の中で、決して安くはないバイト料を払い続ける。

 

それはすごく大変なことな気がしていました。

依頼し続けてくれること自体が、本当にありがたく嬉しいことです。

 

だから、

前回でこの土地と関わることは最後だと思っていました。



でも、また改めて、

お仕事を依頼してもらえた今があります。

 

土地主さんは除草剤を撒くことなく、

再び僕たちに依頼してくれました。有り難いです。

 

そして、次の借主さんも見つかったわけです!

 

 

物事の終わりって必ず来るのだなぁと、

改めて気づかされました。

 

僕の遺伝子易経のテーマの一つとして、

「物事を正しく終わらせること。」

ということがあります。

 

早く終わらせようとしても、終わらない。同じことを繰り返す。

終わらせることが遅すぎても、チャンスを逃す。

 

その物事を本当に終わらすべきタイミングで、終わらすこと。

それが僕の今世のテーマの一つです。
 

この草刈りバイトも、まさしく今、

終わらせるタイミングを頂いたのです。

 

宇宙は最善ですね。

 

 

大きな収入源が一つなくなること。

守銭奴の僕としては、とてもショックでもありました(笑

 

でも一方で新しい喜びを知りました。

 

それは、

次にバトンを繋げる喜びです。

 

5年間草を刈り、想いを浄化し、

喜びと感謝を伝えあったこの土地。

 

たくさんの気づきを僕たちにもたらしてくれたこの土地。

 

喜びでピッカピカになったこの場所を、

活かしてくれる次の人に繋ぐことができたこと。

 

バトンの繋ぎ役になれたことが、

とても嬉しかったのです。

 

やっぱり土地は、

森に還るか、人と活かし合うか。

 

そのどちらかの道が喜びだと、僕は感じます。

(活かすにも活かし方の問題は多分にあり、徒らに搾取するくらいなら、森に還した方がいいとも思っております。人と自然とが喜び合える関係性は今も実験中!)

 

活かせる人がいてこその土地だし、

この土地も畑をしてくれる人をずっと待っていたのです。

 

僕は元来自己中で、自分が楽しいことが第一だったので、

「次に繋がる誰かのために」ということはあまり考えてきませんでした。

 

でも、今回のバイトでははっきりと、

次に繋がる喜びを感じることができました。

 

僕のやってきたことは、

労働の対価をいただいたことだけじゃない。

 

喜びのバトンを繋ぐ、大切なお役目を果たせたのだ。

 

その気づきをいただけたことは、

この5年間の草刈りバイトでの、

最も嬉しいギフトです。

 

土地さん、土地主さん、

今まで一緒にやってくれたゆりさん、

応援してくれた皆様、

 

本当にありがとうございました。

 

ひとつ手放し、

また新たなステージへ進みまっしょい!

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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大雨の後、見事に晴れた本日。外を眺めながら気持ちよく書けました!!

 

 

 

【おやすみ】今日もやりきって、お休みなさい

雨が降る日が近づくと、

慌ただしくなる。

 

雨までに、

畑の中でやりたいことがたくさんあるから。

 

頑張って色々やろうとすると、

ゆっくりしたい自分との戦いが始まって、

余計に疲れてしまうことがあるけど、

 

 

「よし!今日はいっちょ頑張ろう!」

と今日は頑張る自分を許した。

 

朝起きて、

(寝坊した笑)

 

スムージー飲んで、すぐに畑に出て、種まき。

(合間合間で洗濯をしながら)

 

お昼過ぎまで作業しても、

意外とお腹が空かないもんだと自分に感心。

 

遅めのお昼ご飯はお弁当にして、

頼まれていた草刈りバイトを終わらせて、

帰ってきて台風対策のための片付け。

 

色々やって、やりきって、

今に至る。

 

認めてしまえば、

こんな頑張る一日も心地がいい。

 

すげー動けるやん、自分!!

と今日は自分を褒めて寝る!

 

明日はギアを下げて、

ゆっくりと一日を過ごそう。

 

今日も一日ありがとうございました。

お休みなさいませ。

 

まるっ!!

 

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【気づき】僕たちは文章を食べて生きている

最近、書く文章に変化が起きている。

 

前よりもさらに、

表現したいことを表現できるようになった。

 

きっかけは

「note」を始めたこと。

 

note.com

 

noteでは色んなクリエイターさんが、

様々な表現をしている。

 

詩・小説・エッセイ・論評などなど。

 

様々な文章と出会うことができる。

 

noteをやるようになってから、

感性豊かな文章に触れる機会が増えた。

 

そんな文章と出会うと、

心が踊る。

 

自分の内側が広がっていく感覚を感じる。

 

その流れの中、ブログを書き始めると、

今まで表現できなかった自分を、

文字に起こせるようになったのだ。

 

その時、

僕は文章を食べて生きているのだと、

気がついた。

 

 

中学生の頃から、

通学時間がとっても長くなった。

 

片道1時間半。

そのうち約1時間が電車とバスだ。

 

だからたくさん小説を読むようになった。

 

色んなジャンルの小説を読み、

それぞれの著者の世界観に没頭した。

 

そんな中、

ささやかなブログをつけ始めた。

 

誰にも読まれない、自分だけのブログ。

 

当時、なかなか根暗だった僕。

ブログの背景も真っ黒(笑

 

誰にも知られたくないような、

こっぱずかしい文章を、

ちょこちょこ書いていた。

 

はっきり言って、黒歴史だ(笑

 

 

当時から感じていたことだけど、

 

何かの本を読み終わるたびに、

僕がブログに書く文章の表現が変化していた。

 

太宰治の『人間失格』を読んだあとは、

なんだか重苦しい、人間の深層心理を嘆くような文章を書いた。

 

川上未映子の『そら頭はでかいです。世界がすこんと入ります。』を読めば、

急に文章がやたらと哲学的になった。

 

読めば読むほどに、

それらの本から影響を受けて、

文章が変化していったのだ。

 

別に文章構造を分析したりしているわけではない。

読んでいるうちになんとなく、感覚的に受け取っている。

 

文章を食べて、自らの血肉にしているのだ。

 

 

それは昔も今も変わらないことで、

素敵な文章に出会うと、僕の文章も変化する。

 

逆に、同じような文章ばかりに触れていたら、

書く文章も使われる単語も、

いつの間にか単調なものになっていく。

 

文章を書くにも栄養が必要なのだ。

 

 

もっと自分の奥深くに、

僕の表現したい言葉がある。

 

 

読んだ後に、

目の前が澄み渡り、光が射すようし、

清々しい気持ちになるような。

 

心に響き渡り、感動で涙が溢れるような。

 

あらゆる辛さがバカらしくなり、

心底笑えて、一歩前に踏み出せるような。

 

 

そんな魂の震える文章を、

もっともっと書けるようになりたい。

 

やっぱり、文章を書くのは好きなのです。

 

 

だから、

たくさん文章を食べて、

栄養をつけようと思った今日でした。

 

感謝です。

 

まるっ!

 

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ポンデケージョづくり。新しい料理を食べることもまた、刺激になりますな!

【対話】僕ではなくあなたが伝える。ということに意味がある

最近、我ながら結構弁が立ちます。

 

以前は、

自分の気持ちを伝えるにもとっても時間がかかり、

感極まって嗚咽しながら伝えていることも多々ありました。

 

会議中、

誰かと違う意見を言うなんて、

もうドキドキのビクビクで、

 

緊張しすぎて、力が入って伝えてしまって、

むしろ喧嘩を売っているのか??

みたいな言い方しかできませんでした笑

 

 

何度もなんどもぶつかっては転び、

泣いて喚いて、死にたくなって、

(今でもぶつかって転ぶし、泣いて喚くよ!笑)

 

そんなことを繰り返していくうちに、

自分の意見を口にすることに、

抵抗が少なくなってきました。

(それでも緊張はします)

 

もともとの素質としては、

結構流暢に話す方なのでしょう。

 

気がつけば、Sangoの中でも、

かなり積極的に自分の意見をどんどん言う部類に、

なってきたように感じます。

 

「立て板に水」とかよく言われます笑

 

 

そんな中、

また別の感覚が生じてきました。

 

あれ?

僕ばかり意見してる気がする。。。

僕の意見ばかり通ってる気がする。。。

 

っていうか、

僕ばっか喋って、みんな本当に僕の意見に賛同してるの??

 

 

あまりに自分の意見を言いすぎて、

みんなの耳に念仏な気がしてきてしまったのです。

 

本当にみんなの腑に落ちているのだろうか?

 

そんな疑問が胸をよぎります。

 

 

 

しかし昨日、僕が意見しているのを押し割って、

仲間が意見を伝えてくれました。

 

その意見は、

まさに僕が伝えようとしていたこと。

 

僕は自分の意見を先取りされてしまったら、

「僕が言いたかったのに・・・!!」

とイラっとする性質です。

(ほんとめんどくさくて、スミマセン笑)

 

「先を越されてしまった!!」

「僕だって同じことを考えていたのに、割って入って言われちゃったら、

僕がそう考えていなかったみたいじゃないかー!!」

(思い込みが激しいんです笑)

 

とその時も、

クソッと思い、少し残念な気持ちになりました。

 

 

でも、ふと思ったのです。

 

仮に全ての意見を僕が言っちゃったら、

それは僕だけの意思でしかないやん。

(さも僕が全ての意見を言ってるかのような言い方!!こいつ最近弁が立つから、調子に乗ってます笑)

 

僕がその意見を伝えるのではなく、

僕以外の人が伝えるということも、

ものすごく大事なことだ!!

 

 

自分を伝える、表現するということは、

それ自体が「自分を出せている」という自己肯定。

 

人の意見に「うんうん」と賛同しているだけでは、

案外自分のものにはなっていなくて、

 

「私はこうだ。」と自分の意見をちゃんと伝えるからこそ、

自分の意見が自ら腑に落ちていく。

 

 

その意味では、

自分の意見ばかり主張したり、

 

「みんなは話すのが苦手だろうから」という、

余計なお節介から、

場の意見を代弁しようとすることが、

 

必ずしも、

場の調和と発展に寄与しているわけではないのだと感じました。

 

 

自分ばかりが意見しようとしなくていいし、

場を引っ張ろうとしなくてもいい。

 

同じ意見を先に言われてしまったとしても、

それは僕が否定されているわけでもない。

 

 

そもそも、

僕が何でもかんでも意見をしなくても、

僕という存在はここにしっかり生きている。

 

だからもっと手放そう、委ねよう。

 

自分が意見をできなかったことを

悔やむだけで終わらない。

 

むしろ誰もが意見できているという状況、

それだけ自己肯定が育まれている場を、

喜べばいいじゃない!

 

全部自分で完結しようとしなくていい。

 

僕ではなくあなたが伝える。

と言うことにも大切な意味があるのですね。

 

そのことに気づけた今日も、

とても嬉しい一日でした。

 

今日の気づきに感謝です。

まるっ!

 

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僕ではなくあなたが作ってくれる。というご飯もとても美味しく意味がある笑

【気づき】どんなに苦しい時も、「自分が選んだ」と言える自己肯定と喜びを

同じ行動をするとしても、

 

自分で選ぶのか、それとも選ばされたのか。

 

どちらのスタンスなのかで、

その喜びは大きく違う。

 

 

例えば、

目の前に飢えで苦しんでいる人が現れた時、

自分がパンを持っていたとしたら、

 

自ら喜んでそれを差し出すのか?

 

それとも、

しなければならないという気持ちで、

仕方なくそれを差し出すのか?

 

同じ奉仕の行為だとしても、

その意味合いは大きく変わってくる。

 

 

喜んで差し出せた時、

その人は誰のせいにもしていない。

 

相手が喜ぼうと、喜ぶまいと、

その行動をできたこと自体が、

喜びとなっている。

 

故に、

相手が喜んでくれたとしたら、

なお一層嬉しい。

 

 

一方、仕方なく差し出した時、

無意識に自分の行いを、

誰かのせいにしてしまっている。

 

「あの人がしろって言ったから。」

「そうしないと誰かに指を指されるから。」

「目の前の人が助けを求めたから仕方なく。」

 

誰かのせいにした行為に、

内から湧き出る喜びはない。

 

「仕方なく」という想いは、

照れからも生まれるのが厄介だ。

 

本心は助けたくてやってるはずなのに、

正直に伝えるのが恥ずかしいから、

「仕方なく」やってる雰囲気を出す。

 

「別に助けたいわけじゃないんだけど、」

「どうしてもって言うから、」

 

そうやってツンツンとカッコつけて表現してしまう。

 

自分を素直に表現できないが故の、

照れの言葉たちもまた、

自分の行動の動機を無意識に他人のせいにしてしまう。

 

その結果、

自分の行動を喜べない。

自己肯定できない。

 

せっかく見返りを求めない奉仕を実践できたのに、

目の前で湧き出る喜びが待っているのに、

 

そんな自分を褒め、認めることができないため、

喜びはお預けだ。

 

照れは本当にもったいない!!

 

 

そんな照れや義務感からくる、

「誰かのせいでする行動」は、

さらなる波乱を引き起こす。

 

まず、

自分で自分を喜ばすことができない故に、

相手に見返りを求め始める。

 

相手が喜んでくれないと腹がたつし、

次は自分に何かを施してくれることを期待する。

 

さらに厄介なことに、

周りの人間にも同じ行動を押し付け始める。

 

「僕も飢えた人にパンをあげたんだから、

君達も飢えた人を見たらパンを与えるべきだ!」

と言う気持ちになってくる!

 

ここまできたら、

せっかくの善意がもう台無しだ(涙

 

善意の行動のはずが、

周りに悪意を撒き散らしてしまってる!!

 

 

選ぶのか、選ばされるのか、

その違いから生まれる結果は、

全くの別物。

 

喜びは、

誰かが与えてくれるものじゃない。

自分の内から生まれてくるものなんだ。

 

 

「自分で選ぶ」ことは、

苦境に立たされれば、立たされるほどに、

難しくなる。

 

自分の選択の結果として、

自分が追い詰められてしまった時、

 

「もうこれしか選択肢がない。」

という気持ちになってしまった時、

 

それでも、

「選ばざるおえなかった。」と諦めるのではなく、

「自由の中で、僕はこれを選んだ」と言える強さを育もう。

 

 

ありがたいことに僕の仲間には、

自分の身をとことん差し出し、

大きな奉仕を喜んで実践している先輩が、

たくさんいる。

 

そんな先輩たちの潔さが、

心底かっこいい。

 

そして僕は、

まだまだ自分を守りたがるし、

本当にちっぽけだ。

 

でも、

僕もちっぽけなりに、

自分の命をこのSangoという場所に差し出してきた。

 

小さなことからコツコツと、

自分を奉仕する勇気を育んできた。

 

それは誰かにさせられたことじゃない。

自分で選んだことなんだ。

 

どんな小さなことでもいい。

 

「自分が選んだ。」そう言える勇気が、

喜びと肯定感を自分にもたらす。

 

だから、

たとえ僕がちっぽけだろうと、

ポンコツだろうと、ワガママだろうと、

 

今日は卑屈にならず、大胆に、

自分に伝えることにする。

 

今日も一日、

僕は選んでやりきった!!

 

ありがとう、自分!!

 

 

今日も気づきに感謝です。

まるっ!!

 

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